2004.5.17号 02:00配信


熊オヤジのレポート「いにしえの黄金郷を旅する」前編



生田原の山中に潜伏する熊オヤジがお届けする新着レポートは「金(きん)」を探す旅のお話です。
誰です? 借金で万策尽きて金さがし・・なんて言っている人は! カネは無いけど金(きん)なら山にイッペ〜あるドォ〜

さて本題。
熊オヤジの住む生田原町内外の有志で組織する「宝さがし実行委員会」がマジメに取り組んだ黄金郷への旅レポートです。 そもそも「宝さがし実行委員会」とは・・・チカラ強い町を目指し、自信を持って誇れる「食の宝・観光の宝」を探し出そうと結成された会。(ま、本当のところは酒好きのオヤジ達が少しでも飲む機会を作ろうと結成した会?)
何はともあれ行動あるのみ!と今年3月の第1弾企画「おらが街の漬け物自慢大会」(http://www2.ohotuku26.or.jp/ikutahara/wadai/wadai.bakno/wadai040312.htm)に続く
第2弾は「いにしえの黄金郷を旅する」と銘打ち、北ノ王鉱山跡地への旅を企画したものです。


後ろの山が北ノ王鉱山
マチの医療、金融、建設、酒屋、緑化、ホテル、飲食関係の一攫千金を狙うメンバー面々



そもそも「北ノ王」という鉱山名は鴻之舞鉱山を凌駕する金山という自負の下、「産金界の北の王者」という意味で命名されたようです。ちなみに生田原温泉ノースキングの由来はこの「北の王」から。

さて、旅のお話はここから〜〜
5月15日ノースキング温泉に結集した会員らが目指すのは、いにしえの黄金郷「北ノ王鉱山」跡地。場所はヒミツ・・・少しだけ教えますか・・・



アバウトな絵ですなぁ・・・



何故、ここを目指すのか〜ちょっと解説・・・
生田原町の金の歴史は大正5年に開墾作業中の農夫が金塊を発見したことから始まっています。 (詳しくは下欄「生田原町史」参照)
これを契機に大正6年に鉱脈が発見されるや次々に鉱山が開かれ、北海道の黄金郷を現出していたそうです。特に北ノ王鉱山は北海道鉱山の四天王の一角をしめるほどの産金額があり、その量は無尽蔵とさえ言われ、包金率においては鴻ノ舞金山を凌ぐと称されていましたが、残念ながら戦局の悪化とともに山は次々と閉山を余儀なくされ・・・・爾来、60年が経過。

夢よもう一度・・金は眠っている!掘り起こすのだ!
宝探しを夢見る男達が黄金郷へ挑む壮絶なプロジェクトX!(これエックスでなく「ペケ」ね)
(ここでイントロ!「風の中のすぅ〜ばるぅ〜♪」・・・ずっと唄っていてね)


生田原市街から東へ約1kmほどの山中にある「北ノ王鉱山」跡地を目指す片道1時間の歴史探訪の旅・・生田原は太古の昔、盆状の湖の底だったという説があります。この地区には約700万年〜400万年前に形成した温泉型金鉱床が分布しており・・・ま、話はいいから先、急ごう!!





山中を登るメンバー。熊が出没するらしい・・・って熊オヤジばかり



あわよくば金の一粒でも・・・と腰に熊よけの鈴、手にはビニール袋やショベルを携えいざ出発。 ノースキングから町道を経て山道に入り咲き始めた桜や残雪を眺めつつ歩くこと30分。いや山道のきついのなんのって、日頃の運動不足を痛感しますね。




「魔宮」の入り口か・・あやしげな苔の階段を発見


これはインディージョーンズの世界? 古びた階段を上り標高300mほどの中腹に明らかに人工的に作ったと思われる城壁?らしきものが・・生田原にお城があったかな。




生田原城の石垣?



山の傾斜面に精錬工場、研究所、事務所などを建築するために、石垣を築いて平地面を造成したものと推測され、この石垣の上は平地になっています。




精錬所の跡地



さらに山奥へ進むと巨大な壁が出現。幅100m以上、高さ5mほどの巨大コンクリート壁は精錬所施設の跡だそうで、山の斜面に沿って幾重にも建造されています。北ノ王鉱山は地表面に金鉱脈が露出しており、露天掘りで鉱石を採掘して精錬所に運び、金を選別したそうです。




迷路の入り口?


この精錬所のコンクリート壁にはアーチ状の巨大な穴があいていました。中に入ると迷路のように入り組んでいましたが一体、何の目的のために??

後編に続く・・・・・




解説〜生田原町史から〜

生田原町には「砂金沢」という地名が残されているが、むかしアイヌ人が盛んに金を採取していたと いわれ、これが本町の鉱山の源流である。その後、大正5年に八重の斉藤農場で開墾作業中の農夫が、 鍬先に輝く金塊を発見した。大きさが、丈八分九厘×幅四分六厘(2.7センチ×1.4センチ)という見事なもので話題をよんだ。
これが刺激となって、手鉱工業的に採金するものがぼつぼつ現れ、鉱脈探索熱が高まる結果となった。昭和に入り、特に満州事変のころから政府の産金奨励政策によって、金山はゴールドラッシュを現出 する。昭和11年には北海道重要鉱山のうち第4位の鉱産額を示し、戦時の秘匿措置により明らかになっていない昭和13年以降にあっても、各種の記録には日の出の勢いが散見される。しかし、戦局の悪化とともに国は金・銀よりも鉄や木材、石炭など、直接兵器製造や戦力増強に使用される資源への取組みを重点とした。軍事企業整備法とはいうものの、実質は戦争遂行目的による鉱工業再編・統制にほかならず、このため、生田原鉱山の施設は次々と解体され、従業員も配置転換され、山は次々と閉山を余儀なくされた。



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