2000.2.5号 09:30配信


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New Tulips' Schoolからのレポート

子供達の置かれた環境


これは、ニューチューリップスクールで学ぶ、ある2人の生徒に関するレポートです。

<Mr. Raj Kumar, The best boy>
 Mr. Raj Kumar Saiは14歳。肢体障害を持つ彼と出会ったのは、2年前の知的障害児センターでのことだ。
 生まれた時は健康そのもので、父Purnaと母Meju Ratnaは子供を見つめる度に、「きっと良い子になるわ」と甘い夢を語り合っていた。父は1日中仕事に忙しく、母も主婦として家事に忙しい毎日だった。
 月日が流れた1988年のある日。一家は恐ろしい出来事に見まわれた。Raj Kumarが熱を出したのだ。ひどく苦しんでいたが、両親は病院へは連れて行かず、宗教伝道治療師の所へ連れて行った。あちらこちらの寺を回り、神に祈った。だが、彼は日に日に弱っていく。高熱にうなされ、食事も出来ず何も喉を通らない。隣人に促され、ようやく、病院へ運びこんだが、時すでに遅し。腸チフスにやられていた。病院での治療の甲斐あり、熱は下がっていった。だが・・・・何ということだろう!彼は、手も、足も、体さえも動かせなくなっていた。木の様に横たわる息子に必死の看病は続いたが、彼の体が元に戻ることはなかった。むしろ、長いベッド生活で、体は痩せ細るばかり。サイ一家は悲しみにくれる毎日となる。
 親達の認識不足が、愛しい我が子に、耐えがたい苦しみを負わせたのだ。昼も夜も家にずっと篭りきりの生活は、退屈そのものだった。「それならいっそ、知的障害児センターへ入れてはどうか。」と勧めた隣人がいた。知的障害児センターは、彼にふさわしい場所とは言えない。体は不自由でも知能は健康児と変わりないのだから。だが、車椅子のスペース確保とトイレの難しさを理由に、他の学校はどこも彼を受け入れてくれなかった。
 初対面での彼は、笑いもせずじっと黙ったままで、一見、知的障害児の様だった。しかし、ニューチューリップスクールへ入学し、一般の子供達と勉強出来るようになると、すぐにめきめきと頭角をあらわしてきた。
 今では、常にクラスで1番の成績を修めている。昨年12月のテストでは、どれも90%は確実に点を取っただろう。彼はまた、絵の才能もあるようだ。Raj Kumarが、いつかネパールで1番になる日を我々は待ち望んでいる。

<Miss Nilam Shrestha, The best girl>
 Miss Nilam Shresthaは、ラリトプール・イマドールのアパートに、母と姉と妹の4人で暮らしていた。彼女は学校設立当初からの生徒で、クラス2に在籍している。
 父が数年前に他界してから、母は生計を立てる為に働かざるを得なかった。過労の末、母は結核にかかり、ベットでの生活を余儀なくされてしまう。稼ぐ人間がいなくなってしまっては、誰が家族を養うのか。姉は食器洗いのバイトに出た。しかし、それだけでは、食べる物さえ満足に買えない。
 母をベッドに寝かせたまま、みんなは近くのお寺へ赴き、物乞いを始めた。物乞いで得た物によって生活をつないでいく毎日。貧困と低次元な労働に明け暮れ、姉は勉強する機会を失った。
 ニューチューリップスクールの計画が始まった頃、我々は、彼女達が置かれている状況を耳にした。Nilamは、すぐに我々に対して興味を示した。学校へ行って勉強したいと。ほどなく、彼女は学校へ通い始めた。とても活発で勉強の出来る子だ。母の病気も回復のきざしを見せた。ただ、母には残念な事が1つある。上の娘が、ニューチューリップスクールの様な学校へ通えていたら。時期があともう少し早ければ良かったのに、と思っていたそうだ。
 1999年7月には、末の妹も入学した。Nilamは、得意学科や得意分野の活動で1番を取ったこともある。姉妹が揃って笑顔で学校へ通う姿は、とても素晴らしい。こういった子供達が教育を受けることにより、ネパール全体の雰囲気も明るく変わっていくだろう。


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