今回も、ネパール盲人福祉協会(以下:NAWB)の活動についてのレポートです。数多く行っている視覚障害者の自活援助活動の中から、私が実際見た事例を中心に紹介していきましょう。
Community Basad Rehabilitation Program(以下:CBR、地域におけるリハビリテーション)は、その名の通り、地方に住む視覚障害者に対するプロジェクトです。目的は、
1.身の回りの事が自分で出来るよう、訓練する
2.その土地にあった仕事への就業を援助する
3.地方に多い眼病を防止する
です。都会に限らず、全国平等にサービスを提供したいという考え方があるようですね。職員は主に現地で採用、研修を行い、土地感のある人材を育成しています。
<CBR支部とスポンサー>
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支部
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スポンサー
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カトマンドゥ
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キリスト教盲人使節団(ドイツ)
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カーブル
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国際ヘレンケラー協会
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バラ
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東京ヘレンケラー協会(日本)
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ダン
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南アジア協議会
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ロータット
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世界盲人連合、社会福祉評議会
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スンサリ
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キリスト教盲人使節団(ドイツ)
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カスキ
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全国視覚障害者基金(オランダ)
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カイラリィ
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デンマーク盲人協会
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キルティプル
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国連児童基金
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<98年度の活動実績>
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サービス受給者数
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リハビリ
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日常生活訓練
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2,713
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事業ローン
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463
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スクーリング
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147
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治療
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視力検査
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58,551
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ビタミンA供給
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111,825
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白内障手術
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1,528
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セミナー
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自己啓発セミナー
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126,013
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訓練セミナー
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642
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1.統合教育
私が見学したのは、南部の3校。そのうち2校では盲児童が共同生活するホステルが完成しており、1校が建設中でした。学校の様子は、また別の機会に詳しく報告しましょう。
学校名
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ドゥマルワナ
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ジュダ
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シャンティ
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創立
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1987年
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1943年
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1946年
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場所
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ナラヤニ県
バラ郡
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ナラヤニ県
ロータート郡
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ルンビニ県
パンディヒ郡
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総生徒数
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約350名
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約1,600名
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約1,000名
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98年度の
盲児童数
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20名
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16名
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17名
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ホステル
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95年完成
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99年7月完成
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2000年5月完成
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工事期間
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8ヶ月
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8ヶ月
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8ヶ月
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建設費用
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109万ルピー
(約200万円)
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90万ルピー
(約180万円)
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110万ルピー
(約190万円)
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収容人数
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20名
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20名
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20名
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※ルピーはそれぞれ建設当時のレートで計算しています。
授業は基本的に、健常児と一緒です。盲児童は一番前の席に座り、先生達は彼らに留意しながらも、通常どおりに授業を進めて行きます。みんなびしびし当てられているのでしょうか。見学したクラスは、結構活気付いていました。特殊教育教室もあり、新入生は、まずそこで、点字や歩行技術を学びます。リソースルームと呼ばれるその教室には、ドット付きの全国地図や大きな点字表が貼ってありました。リソースルームの先生方は優しそうな方ばかりでしたよ。
2.職業訓練と資金貸し付け
ロープ・カーペット作り、ろうそく作り、農業、養鶏、養牛など。訓練期間は約6ヶ月。その間の給料はNAWBから支払われます。訓練後はどこかの工場へ就職するか、自営業を始めます。その際の資金として、3,000ルピー(約5,200円)が無利子、無担保、無期限で貸し付けられます。契約手続きはごく簡単。家族立会いの下、ペラペラの契約用紙に本人が拇印を押すと、スタッフが財布から3000ルピーを出し、ぽんと手渡してました。契約場所はその辺の広場だったし。
《例:Mr. Lahar Manの場合》
Lahar Manさんは、カトマンドゥ近郊のティミに住む全盲者。
CBRに訓練を受け、ろうそく作りを学びました。
ろうそくの作り方
1.芯になる紐を、型に巻きつける。
2.市場で仕入た「ろう」を流し込む
3.10分程待ち、「ろう」が固まったら型からはすず。
4.ナイフで整形して、出来あがり。
材料:ろう、太紐
道具:鉄製のハメ型、ろうを溶かすランプ、土瓶、ナイフ
作業時間:1回約30分
1日の生産量:1回24本×8=192本
これを、1ダース20ルピーで売りさばきます。週に1度、街へ行くそうですが、5日間で作った物が全部売れたとしても、(売値20Rsー経費15Rs)×80=400ルピー1ヶ月の利益は、1,600ルピー(約2,800円)。勿論、一般と比べると低収入ですが、自分の技術でお金を稼いでいるという自信が、彼からは感じられました。年齢は聞いていないのですが、50代でしょうか。とても明るく元気で若い娘好きな方でした。私は3度家へ遊びに行きましたが、2度セクハラに会いましたね。「手引きをして欲しい」と言うから腕を貸したらお尻を触るんですよ。ひどいでしょ。今でもご健在でしょうか、あのスケベ親父。
3.アイキャンプ
白内障手術、アイチェック、ビタミンAの供給等。私がいた頃、国際ネパール友好協議会(オランダ)から、エレナ・ヴィリグさんが、眼科助手として来ネされていました。その団体からは、4ヶ月サイクルでボランティアが派遣されます。活動地域は広範囲に渡り、エレナさんもあちらこちらを回られたそうです。
4.眼科治療センター
各地に、眼科治療室を備えたCBRセンターを建設。病院から派遣された医師が、週1回無料で検診と治療を行っています。眼病予防の為に、ビタミンA配布や予防セミナーも定期的に行っています。とはいえ、私が見学したバラCBRは、かなりがらんとしていました。診療室にあったものと言えば、診療ベット、薬棚、検眼ライト、視力検査セット、検眼鏡ぐらいでしょうかね。日本の診療室のイメージからは程遠い印象でした。
また、バラでは、フィールドワークという戸別調査を行っています。そこで出会った、2人の視覚障害者についての記録をTHKAの方から提供して頂きましたので、今回、特別に紹介しましょう。
《Mr. Amal Singh Rajput》
年齢 55歳、既婚。
家族 4人。身の回りの世話は息子が行っていた。
発症 1993年網膜障害が原因。現在は弱視。
訓練 1999年2月開始。
バラ眼科診療所にて眼疾が発見され、ビルガンジのケディア眼科病院やラクソールの病院を紹介されたが、治療不可能と診断。現在の視力は、光を感じる程度。
調査当時は、2回の歩行訓練の成果が徐々に表われてきている時でした。将来の希望は水牛飼育でしたが、順調に進んでいるといいですね。アマルさんのお家は、見るからに南部の農家っぽい、壁画付き土造住宅でした。周囲の庭と道はでこぼこしてて、歩きにくいったらありゃしない!歩行訓練の大切さを知った調査でした。
《Mr. Suman Singh Lama》
年齢 22歳、未婚。
家族 6人。
発症 2歳の時、はしかとビタミン欠乏が原因。現在は全盲。巡回眼科講習の時にバラCBRと出会う。その後のリハビリにより、歩行などの身体能力は問題ないが、勤労意欲に欠けており、無為に過ごしている時間が多い。
ラマさんとこは、お店も併設しているレンガ造りのお家でした。記録には「勤労意欲に欠けている」とありますが、まあ、そう言わずに。本人は、町の音楽学校へ入りたいんだから。笛が得意な方で、私達にも何曲か披露してくれました。訪問調査を友達が見に来ていて、軽〜いノリでお喋りするシーンも。音楽の話になるととても楽しそうな様子でしたね。
<CBR支部が把握している視覚障害者数>
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支部
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人数
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プログラム開始年
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カトマンドゥ
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619
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1990
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カーブル
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524
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1988
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バラ
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796
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1990
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ダン
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175
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1989
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ロータット
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270
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1987
|
スンサリ
|
1,234
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1994
|
カスキ
|
251
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1997
|
カイラリィ
|
360
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1998
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キルティプル
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125
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1988
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計
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4,354
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ネパールでは、健常者の就職さえも厳しい状況にあり、視覚障害者の就職はかなり困難です。勉強すれば教師資格も取れますが、先生になれるのは全国で年に数人。それ以外は、農業を手伝ったり、ろうそくやマット等の簡単な物を作って売るぐらい。職業訓練の計画は順調ですが、採算性を考えるとイマイチみたいです。中途障害者の場合、失明時に受けた精神的ショックから無力感にとらわれ、家に閉じこもったままの生活を送っている人も少なくありません。自分で稼ぎ、生計を立て、自分の力で生きていく。当たり前ですが、これは、私達にとっても難しいことですよね。
統計資料:中村由起子著「アジアの障害者」NAWB1998年度事業報告書より
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