2001.2.25号 07:00配信
目の前で緊急事態が勃発したとき、人種によってそれぞれ反応が違うそうである。 女性に限って言えば、すっぽんぽんの時誰かに踏み込まれると、西洋圏の女性は胸を隠し、東洋圏はかがみこんでしまうのだとか。見知らぬ女性、もしくはそれほど親しくない女性にいくら「実験だヨー」と言いつつ実践しても、最低で軽犯罪法違反、普通で「強制わいせつ未遂」で豚箱入りは間違いないので、まだ試してみたことはないけれどネ。 そういえば新婚当時「本当に俺に嫁が来たのか??」と思ってまだ新妻でういういしい「みゆきちゃん」の入浴シーンをのぞきに言ったことはあるが、はじらいで顔を桜色に染め湯船にそっと体を沈めた彼女も、年月がたって何かの用で入浴中に聞きに行っても、体を洗いつつ「何!!??」と毅然とした態度で対応してくるので、この「前屈みになってウンヌン」のくだりは、年若く・なんちゃらかんちゃらと条件がつくのかもしれない。 話は限りなく脱線して行くが、今を去る十数年前当時勤務していた日本海側の地方都市「留萌市」で健康診断を受けに行った時のこと。今では人間ドックの様に効率的に進められる健康診断も、当時は市立病院で問診を中心とした簡単な検査だけだった。指定された日に休暇をとっていた私は、他の日に市内の小さな病院で受診することになった。 一歩病院の玄関を入ってちょっといやな予感がした。小さな待合室は、お年寄りの社交場・・・と書けば上品だがその時の状態を、つたない表現力で書けば、「まだまだ50年は生きるぞ!!!じいさん・ばあさんと言われようと、体の調子も絶好調だけれど、病院に行けば知り合いも来てるだろうし、温かいし、お茶もあるし、もし倒れても近くに医者がいるから大丈夫だし、まずは元気に出かけて待合室ではあそこが痛い、ここの調子が悪いと言っていればなんとなく病人に見えるし、さあ出かけよう!!!!」状態の元気いっぱいの推定年齢70歳〜80数歳のお年寄りの、大合コン会場となっていた。 婆ちゃん子で育った私はどちらかと言えばお年寄りは好きな部類に入るのだが、10数人が集まって40年以上前の出来事と現在がとめどもなくクロスする、時系列ぐちゃぐちゃ大スペクタクル歴史絵巻には、到底入っていくことはできず、ひたすら名前が呼ばれるのを待っていた。やがて順番が来て、お決まりの尿検査からとなった。紙コップを片手にトイレへ・・・・。 その病院は築30年前のものと断言できる古い代物で、トイレの扉も今風のワンタッチでロックできる方式ではなく、木の扉で、ドアも棒を横にスライドさせる「開拓記念館」とか「明治村」の昔の民家なんて所にいかなければおめにかかれない、レトロな代物だった。 トントンとノックをしても応答がないので、扉を開けようとした・・・・が開かない・・・。ちょっとは開きそうな気配だがしまってしまう。近くの看護婦さんに聞いても「建物が古いからよくあるんですよー思い切って引っ張ると開くと思います。」思い切って引っ張ると確かに便所扉はオープンした。だがおまけがついてきた。 四谷怪談の戸板返し、天井にはりつく忍者の様に、扉の裏側に婆ちゃんが一人張り付いていた。このトイレは、入り口に背を向けて尻を出す和式になっていて、鍵をかけ忘れたか、どうかはわからないが、とにかくノックされて気が動転してしまい、今ならPA法だバリヤフリーだと問題になるところだろうが、そこは戦争もくぐりぬけてきたタフな明治の日本人。とっさに立ち上がり扉を死守せんとがっちりしがみついたと思われる。物理的に若い男の方が、婆ちゃんより力は強いので手足をフルに使った「扉防衛作戦」もあえなく突破されることになった。普通だと「あっ!!すみませーん」となるところだが、扉の裏に張り付いた婆ちゃんは爆弾投下作業のまま歴史の刻み込まれた肉体を隠す暇もなく、早く言えばケツ丸出しで、扉の裏側にはりついたまま大衆の眼前にさらされる事となった。 その後のリアクションは自分の事はよく覚えていないが、婆ちゃんはギロリと私をにらみ、堂々と腰巻きと和服の帯をなおし一言・・・「拭くひまもなかったワ」・・・・しばらくは戸板を背負った鬼婆に追いかけられる夢を見続けた。
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