2001.10.24号 07:00配信


南極のドーム基地住人だった西村淳の
アドベンチャークッキング2
【気ままに語る食と人の話】

超スピードウェディングパーティー4


「まだプロポーズしてないって・・・ その婚姻関係に至る、諸手続の最初の段階をクリアしてないって事か・・・?」と離れ小島にUSJを誘致するようなアホな質問が思わず出てしまった。ここで「まっこういう事は本人達で話し合った後で」となって、お開きになるのが世間一般のパターンなのだろうが、もうエンジンに火がついてしまった私は止まらなかった。
「プロポーズしてなかったら、プロポーズをすればいいんでないか!! はい次の土・日当直変わるから竹内君プロポーズタイムね!」と自分勝手・強引・ジコチューいろいろな枕詞がつくだろうが、とにかく週末、はるばる紋別と函館から列車で、旅をしたカップルはめでたく札幌でランデブーした。

当日待っていたがなかなか御報告の電話が来ない。しびれをきらしてこちらから電話した。
「おー竹内どうなった???OK?」
「はいー・・・なんとか終わって、彼女が泣いて・・とにかく決まりました。」
あの無口な竹内君の事。 緊張のあまりコーヒーを口に運ぶはずが、手元が震えて相手にぶっかけ、すべてはパーになったのではと気をもんでいたおじさんは、まず一安心と相成った。なんでも私からの電話は、御両親に報告するより先だったようで、なんとなく変な形になってしまったが、世の中の常識・気配り・作法等の面倒事一切、奥さんに任せて人生を生きている私は、いくら世間から「この非常識野郎がー!!」と陰口を叩かれようと、まずは良き結果が出たことですっかりご満悦な気分になってしまったが、壁はまだまだ立ちふさがっていた。

やがて函館を出港し、「紋別回航」となったが、流氷はでんとオホーツク海に居座り、小樽に行ったり、稚内に行ったりする内にどんどん3月一杯のタイムリミットが迫ってきた。
「もう駄目!!これ以上伸びたらアウト」となる、ぎりぎりの日が来てしまった。その日も南西の流氷が遠くに行ってしまう良い風が吹いてはいたものの、相変わらず数兆トンの氷は海を埋め尽くし、春にはまだまだの気候だった。転勤者も出席可能と思われる最後の日も過ぎ、「中止するかね・・・」の寂しい声もぼつぼつ出始めていた。このまま入港しても、パーティー実行日まで一週間もなく、さてどうすんべと思った翌朝奇跡が起きた。水路が開いた。でもはたして出来るのか?会場も順延の嵐で、もう夜は開催不可能。明日いよいよ回航となった、稚内でひらめいた!! 「別に酒を飲むのが目的ではなく、とにかく祝ってやるのが先決。そうだ!昼間にアルコール抜きのティーパーテイーをやればいいのだ! よし決定!」

入港して、実行まで実質4日間。
やってやりましょうじゃないの! となった。 ほんとに「アドベンチャークッキング」になってしまった。メニューやその他は飲みながらと言うことになり、稚内の夜の街に繰り出した。水割りを飲みながら、話はどんどん進み早くも打ち上げ状態に盛り上がってきた頃、携帯がなった。「あのー日本テレビの佐々田というものですけれど、私ディレクターをやっていまして、テレビ出演おねがいできませんでしょうか?」
酔っぱらっていた私は例によって安請け合い。
正気になって青ざめた。それがお昼の全国放送「みのもんた おもいっきりテレビ」の出演交渉で、しかも私が一時間の特集枠で、出演は東京で、出演日は転勤してまもない4月3日との内容を聞かされ、ほんと青ざめるのを通り越して、白くなってしまった。
あー又複雑になってきた。


本番前の日本テレビ Hスタジオ


文章や写真の無断転載は禁止します。



「アドベ1」はこちら

あなたのご意見やご感想を掲示板に書き込んでください。

indexbacknext掲示板




Home
(C) 2001 webnews
ご意見・ご感想・お問い合わせは webmaster@webnews.gr.jp まで。