「稚内のオヤジが現れた1」
webnewsのコラムはどんどんリニューアルしていかないと、覗いてくれるゲストが次第に少なくなっていき、先細りとなってやがては消滅の運命が待っていると言われる・・・とは聞いたことがないがおおむねこの世界の常識になっているようだ。
もちろん数をこなさなくても「千織さん」のコーナーの様に格調高く、見る人をほのぼのとさせてくれるものも確かにある。だが私が駄文を書き殴っている「アドベンチャークッキング」は名前こそ、「冒険家の料理術」だが、中身は、南極観測隊が世界の果ての極寒地でなんらかの事故に遭遇し、生きるすべが日毎に消滅し、そんな危機の中でも、ガジガジに固まった数少ない食糧を生きるために分け合いながら、日本へ、そして愛する人のもとへ帰るため持っているサバイバルテクニックを発揮し、大自然に挑戦する・・・なんてものではなく普通の親父達が、環境こそ凄まじいがその中ですら、適温を保ってくれる建物の中で、飲んで・喰って・ビデオや古い週刊誌を見て喜んで、仕事して、またまた飲んで喰っての日常をつづったものなので、南極観測隊という冠がなければ、「オヤジ集団アル中日記」と改題してもそのまま通ってしまうような内容である。
それを読者に感づかせないようにするにはどうするか・・・これはただ一つ次の章に移ってもらうしかない。物量大作戦、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる自転車操業、とにかく次から次へと発表し続けなければ、底が割れるというか正体がばれるというか、とにかくその程度の代物なので、車輪を回す二十日鼠の如く原稿を書き続けるというのがこれまでのパターンだった。
しかし夏が来た。 来てしまった。夏の無い所で数年間生活していたためか、小さいときから北海道で暮らしていたせいか、私の心の中には南国への強いあこがれがある。何度か経験した海外旅行でも、「日本人ですか?」と聞かれた事は一度もなく、アメリカへ行った時はスッチーが、前の席までの日本人ツァー御一行様には日本語で話しかけたのに、私にはスペイン語で話しかけてきたし、オーストラリアではアボリジニの人に現地語で道を聞かれた。自分だけで日本人離れしたほりの深い顔立ちとは思っているが、他人に言わせると、くどい顔立ちだそうで、どうやら私の御先祖様はサモアかトンガ、はたまたフイジーかニューギニアあたりから丸木船をこいで、渡ってきたようである。
代々伝わってきたDNAのせいかはたまた流れる血潮のせいか、とにかく夏になると私の心はワクワクしてくる。そうなるとパソコンを前にしてのパチパチ作業は虹の彼方へ消え去ってしまい「どうやって外で遊ぼうか」と日々そればかり考えることになってしまう。
ある日突然思い出した。「そうだ原稿をUPしなければ!!」ほんとは意志が弱く、なまけものでうそつきの私は、周りに「これやるよー」と吹聴して自分をがんじがらめにしておかなければ2.3秒で約束事は忘れてしまう性格なのでまずは岡島氏に「明日原稿送りまーす」とメールを打ち、「よし明日こそ!!」と決意したとき、伏兵が現れた。長年の飲み友達にして、キャンプ仲間の稚内の「オヤジ」事、長縄氏が一家を伴って紋別に登場した。
地ビールを持って微笑む金髪オヤジ
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。
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