2005.9.30号 15:00配信
毎月、以前の勤務地の遠軽町などの人のつながりで、先ほど(9月30日午前)広報紙が送られてきました。 「広報いくたはら:558号(最終号)」、 「広報えんがる:第797号(最終号)」、 「遠軽地区4町村合併協議会だより最終号(第20号)」、 それと新「遠軽町」広報、創刊号−の4冊。 10月1日にオホーツクの白滝、丸瀬布、生田原、遠軽など4町村が合併し新「遠軽町」が誕生するからです。「平成の大合併」、網走管内では初めてで、これを発端に、女満別などの「大空町」、北見なども合併が始まり、いよいよオホーツクでも、「自治体再編」が本格化します。 何度か、このウエブニュースでの発表の場を借りて、遠軽などの合併について書いたことがあります。意見などをいただきましたが、ぼんやりと感じたのは、「合併」することは、難しいのか、簡単なのか、いいことなのか、悪いことなのか−よく分からないと言うことです。二分法では論じられないのかもしれないです。盛り上がっているのはマスコミと、自治体役場職員の関係者だけかも知れません。 ま、今回は自分もマスコミに携わる一人として反省を含めて思うことを書いてみてガッペの話、締めたいと思います。ただし、今は現地に居るわけではないので、推測の域を超えませんが・・・・。 遠軽などの合併は、僕が支局にいた、2001年頃から話に上り始めました。 「合併特例法」の期限が間近に迫っていたため、「交付税も削減される。急いで合併を進めなくては」という空気が、出入りしていた役場などにあったように思います。新聞でも1面を使って、当時、北海道が作成した「自治体合併のプラン」「枠組み」などを紹介していました。役場では買っている業界紙「自治日報」などで東京での動きを注視。末端の一支局員にすぎない僕にも、「東京ではどういう情報が流れてるのか」と聞かれたこともありました。 んで、遠軽など広域組合を形成する「遠軽地区7町村」では「7町村」パターンと、「遠軽など4町村」「上湧別など3町」の二つのパターンが例示。7町村パターンは2003年に破談となり、前記の2つの枠組みで並行して合併の是非を話し合いました。 だけど「上湧別など3町」は湧別町の住民投票で「合併反対」が過半数を占めたため、これまた破談。遠軽地区と呼ばれている所では、この「遠軽、丸瀬布、白滝、生田原」の4町村が合併に向けて協議会を重ねてきました。 ホームページで公開されている合併協議会の議事録を読んでいると、中盤まではケンケンガクガクの部分もありました。報道をめぐるマスコミ批判もありました。 ですが、終盤になると、あんまりそういう場面、熱い?論戦は見あたりません。懸案の一つでもあったはずの「町旗」「町章」でさえも「遠軽町」の物を利用することでも、異議がそれほど出なかったようにも感じました。話が違うと思います。やはり町章は、一新しなくては。 ほとんど「イケイケゴーゴー」なのか「後戻り出来ない状態」になったのか・・・。 やる気がないのでしょうか、論議疲れを起こしてしまったのか。 「カネがない、自治体同士の『呉越同舟』」なのか 「山側で産業基盤が類似」しているのか。 この4つの自治体が合併に至った最終的な判断は、何だったのか、よくわからないのです。 ご存じの通り、国は地方分権をうたい、30日付けの北海道新聞にも全面広告を使って希望のある合併の意義を唱えていました。ですが、事実はどうでしょう。「地方分権をうたった自治体の整理」。 新遠軽町の旧・各自治体にはさまざまな特色・施設があります。 生田原のちゃちゃワールド、遠軽の地ビール館、丸瀬布のSL雨宮21号、白滝村の農業…。今後、そういったものをどうしていくのか、真剣に考えなくてはならない時期にさしかかっているのではないかと思います。 合併したからといって、足元を見て、「何ができるのか」ということを考えなくてはならないでしょう。今後、どうしていくつもりなのか、方向性を見据え、具体的な施策を考えなくてはならない。ただ合併したから−としていれば、そのうち、起こるであろう二次合併で「痛い思い」をする羽目になってしまうような気がします。 人口割りでいけば、旧遠軽町が一番人口が多いです。かつて商店主らで起こった「町名は遠軽町に」運動。店先にはビラまでも張り付けてありました。ちょっとやり過ぎの運動だと思いました。コストなどの面で「遠軽町」という名前にすればラクなのでしょうが、端々に(被害者意識が強いせいかもしれませんが)、「遠軽中心主義」が見えたような気がします。そういった意識が、再び、旧遠軽町の中でわき起こったときにはどうなるか・・・。 仲良くやれ−とは言いません。旧町村で競い合って住み良いまちをめざしてほしいですね。 10月下旬には新・遠軽町の町長選、町議選が行われます。 先日、町議選に、遠軽以外の首長が出馬する−との報道がありましたが、チャンチャラおかしな話。院政でも敷くつもりなのかと首をひねります。こうなったら、議員の席にはすべての町村長を並べて・・・。ヒヒヒ・・・・・。 それは冗談であってほしいですが、庁舎内の人たちや議会が私的な誘惑に駆られて、旧各町村間でヘンな綱引きが繰り広げれ、「田舎で幸せに暮らしている」地域の人たちの営みを崩すことは、許されることではありません。 まとまりのない文章になってしまいましたが、とにもかくにも10月1日には開庁式が行われ、新「遠軽町」として歩み出します。今後、どのような歴史をたどるのか、半分感傷的に、半分冷静に見ていかなければならないなぁと思っています。 (札幌支局長・ぴかちゅ) |