2001.4.2号 07:00配信


旅の終わりに…

(紋別市社会福祉協議会:篠原辰二)


1月6日、午後8時45分。ホテルに近い、「ヒマラヤンカフェ」という洒落た喫茶店で僕等はこの度最後の晩餐を楽しんでいた。その時僕は一枚のハガキを書いた。自分宛のハガキ。おそらくそのハガキは1週間をかけて僕の元に届くはずである。1週間後の自分に、この地での想いを書き記すためにハガキを書いた。ネパールを出国する3時間前のことだ。

『初めて訪れたときの不安と人の温もり、
感動的なネパールの自然・大地、
子ども達の笑顔、生きる力…。
この地にどれだけの想いがあるのか?
大地の恵にどれだけ触れることができたのだろうか?
自分で切り開き、導かれたチャンスをどれだけ生かしてこれたのだろう。
今を生きるためのチャンスを切り開き、そして導かれるための人間。
自分はそんな人間になれているだろうか?
このネパールの地でどれだけの事を学んでこれたのだろうか…』

今回の渡航を振り返り、これまで係わってきたネパールという国から得た自分自身の「学びのチャンス」「生きるための恩恵」を自分なりに表現し自分へと宛てた。

そもそも僕はなぜこの国に三度も足を運んだのだろうか、改めて考えていた。最初にこの地を訪れたのは大学3年の終わり、僕は福祉系の大学に通っていた。大学の勉強では戦前、戦後の福祉施策や国民の生活状況などが持ち出され、現行の福祉施策や課題と照らし合わせることが多かった。しかし、僕はその頃を知らないし、講義を進めている教授達にせよ、それは文献の中での出来事だろう。日本と同様か、それ以上の先進国から影響を受け、創りあげていったような、僕はそんな社会に生かされているものだと思った。遠く6000Hの同じアジアという地域にそれを垣間見させる場所があった。

ネパールでの日々は何か懐かしく、昔から住んでいる田舎の様な所。僕がネパールへ最初に訪れたときの印象である。北海道の南にあるとある田舎の農家で育った僕にとっては、牛が畑を耕し、畑で摂った野菜をそのまま食卓へ並べることは懐かしく感じたのだ。それから4年経った今もその印象は変わらない。この地ではゆっくりとした時間が流れているようだ。この地で過ごした1週間はとても短いが、独特の時間の流れが長居したかのように思わせる。そんな時間の流れに身を置き、朝日と共に起き、暗くなったら寝る生活をしていると、日本での忙しい日々とは違い、それまで考えなかった事を考え出す。自分という人間、持っていた夢、これからの自分、そして豊かさのものさしとは何なのか。関西空港へと飛び立つ飛行機の中、日本もネパールも同じ現実の中に存在していて、同じ時間を過ごしている「ギャップ」をいつも考えている。荷物が軽くなった分、頭の中はいっぱい。ネパールは僕にいろんな事を考えさせてくれる。



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