1999.12.13号 08:30配信


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オッサン・オバハンの修学旅行 その四




日本では晴れ確率の高い「体育の日」の今日、ソウルでは雨。まあ旅行中一度は雨を覚悟していたのだがやはりチト残念。昨夜も二時頃まで呑んでいた私たちだが、今日も七時起床。朝はやはり熱いコーヒーが飲みたいという者もいたので、今日の行動計画を打ち合わせつつホテル内のレストランで朝食。8500won(日本円八百五十円)だった。ハムエッグとフライドポテトとトーストというごくありふれたセットだった。味は・・・・こんなものだろう。韓国式朝食セットというようなものはなくガッカリ。

九時ロビー集合後、地下鉄駅「長漢坪」まで十五分歩く。
昨日はあまり気にせずに歩いたが、この辺はレストランが多い地域らしい。また深夜には屋台なども多く、それらの屋台が朝は工事用のブルーシートなどで覆われていて祭りのあとのようにどこか儚げにみえる。そういえば昨夜ホテルに戻ったのは深夜だったが、この辺は牡蠣やサザエなどを焼いていたり、酔客で溢れていたりと、とてもにぎやかだった。また薬屋、消防署、個人商店も並んでいて、この長漢坪近辺はなかなか庶民的な地域のようだ。

地下鉄駅で今日最初の訪問予定地「戦争記念館」の最寄り駅「三角地(サムガクチ)」を探す。ハングルの世界で今朝もまた悪戦苦闘。そうこうしているうちに英語で話しかけられた。見ると人の良さそうな外人(^^;)だった。話してみると韓国に勉強に来ているイラン人で、もう韓国に五年間滞在しているのでハングルは喋れるし、読むことができるとのこと。そこで彼に三角地駅が路線図のどこにあるのか尋ねた。彼は親切に乗り換え駅、経由地を合わせて教えてくれた。今日は長漢坪とは反対側まで行くのだがそれでも料金は500wonだった。イラン人青年の「Have a nice trip !!!」の声に送られ、我々はプラットホームへ。

地下鉄の中で面白い光景に遭遇。
大きめの段ボールを抱えた人が列車の連結部分を越えてやってきて、何かを手づかみにすると大声で叫び始めた。一体なにが始まったのだろうと我々は驚いた。彼の手元を注視するとゴム手袋が握られている。その指の部分を思いっきり伸ばしたり、手にはめたりと大忙し。お〜これはゴム手の実演販売だ〜、でもこんなところじゃ売れないだろうな〜と思っていると、予想に反して地下鉄に乗り合わせていた人々が次々に買うではないか。キムチ漬けの季節なのだろうか。商魂たくましい韓国の人を見た。

東大門運動場駅で乗り換え、九時五十分、三角地駅着。
出口案内に従い、路上に出たが広い景色が広がるだけで記念館らしい建物はない。取りあえずソウルタワーが見えたのでそちらに向かって歩く。ソウルタワーのそびえる南山の麓のこの地区は戦前は旧日本軍が集中的に配備されていて、またその後は米軍、韓国軍が配備されている基地の街らしい。小さな食堂や一般の小売店、看板屋さんなども軒を連ねる庶民的な感じもある。道路に沿って進むがそれらしいものが見えないので道行くシルクハットを被った韓国の古老に尋ねた。英語で話しかけたが日本語で答えてくれた。道々我々が話していたこともきっと分かっていたのだろう。我々のそばをつかず離れずという感じで歩いていた人だった。大きな通りを右に進むと小高い丘に大きなカーキ色の建物が見えた。韓国の国防省らしい。屋上にはレーダーのような大きな設備がある。その向かいにとても広い空間が広がっていた。近づくと戦場でひしと抱き合う兵士の像があった。どうやらここが戦争記念館らしい。

門を入ると敷地の広大さに驚く。昨日の景福宮の広さにも驚いたがここも半端じゃない。その広い敷地の奥に戦争記念館が雄大、かつ、神聖な・・・という感じで建っていた。またその記念館を取り巻くように飛行機、戦車など展示されている。記念館に入る前に我々はその展示されている飛行機などを見ることにした。B52も置かれていたが想像を遙かに超える大きさである。黒く塗られた機体は異様な質量を感じさせた。反対に操縦室のあまりの小ささにも驚いた。戦争のために機能を絞り込んだ結果がこういう形になったのだろう。戦車の展示では横に階段がついていて昇って砲手のところまで行けた。またナイキなどの大砲、機銃操車などもある。船関係の展示がないだけでものすごい量の展示である。子供時代よく作ったプラモデルの世界に戻ったような気がした。

中央の入り口までには両脇に長く延びるエントランスがある。そこは1945年以降に亡くなられた韓国軍戦死者の名前が並ぶ。「2001年宇宙の旅」に出てきたモノリスの巨大版のような何枚もの真っ黒な石碑に十五万人以上の名前が刻まれているらしい。本当におびただしい数の人が亡くなったんだと実感させられた。1945年以降ということだから朝鮮戦争(韓国戦争と表記されていたが)での戦死者が主なのだろう。これを見ていて私はもっともっと膨大な単位で亡くなった第二次世界大戦の日本の戦死者のことを思った。ここでは我々のような観光客の他に、親類の人の名前を探しているような韓国の人たちもいた。

一人2000wonの入場券を買い、中央の入り口を入ると韓国軍の各連隊の旗が天井から展示されている。虎のマークの入ったものが特に印象深かった。外観の大きさに驚いた私であるが、その内部もとても巨大だ。入り口には韓国のために戦った軍の有名烈士の胸像が飾られている。七十歳くらいの韓国のお年寄りたちのグループが盛んに像を触りながら語り合っていたりもした。自分たちの参加した朝鮮戦争のことを思い出しているのかもしれない。さらにそこを進むと急に照明がライトダウンし、館内に水も流れていたりして荘厳な感じになった。

この記念館は近代戦争ばかりではなく、古代から現代までの戦争に関する資料が網羅され、展示されていた。日本の歴史ではホンのわずかしか紹介されていない豊臣秀吉の朝鮮征出兵(文禄・慶長の役)が「壬辰倭乱・丁酉倭乱」としてとても大きく展示されていた。豊臣秀吉軍を打ち破った李舜眞(イー・スンシン)が今でも韓国の一番の英雄であるということを他の日本人観光団についていたガイドの人が言っていた。私はそばでガイドさんの説明を聞いて、なるほどな〜と感じていた。この記念館は新しいのかジオラマによる展示がすごい。この壬辰・丁酉倭乱のシーンでは海上戦の様子が克明に再現されている。見ていて分かりやすい展示だ。若いお父さんが小さな我が子に一生懸命韓国の歴史を話している姿もあった。

朝鮮戦争に関してはかなり詳しい展示がされている。映像やジオラマ、画像による北朝鮮群の進駐ぐあいなども分かりやすい。ただ日帝時代については韓国軍の歴史上の空白期であるためこの記念館では正面切って展示されていなかった。やはり日帝時代のことを知りたければガイドブックにも書いてあったが天安の独立記念館に行かなければいけないのだろうが今回は時間が取れず、残念である。次回の課題にしよう。天安はソウルの南100kmほどのところにある街である。

途中自販機のある休憩室で少し休み、タバコを吸いつつ、一休み。その近くにミュージアムショップ(というか売店のような小規模のもの)があった。ピンバッジなど買う。面白いな〜と思ったのは「カシオBaby G」のコピーが千円くらいで売られていたことだ。Zippoのコピーもあり、友人がひとつゲットしてきた。

その後戦争体験室に入る。入場料とは別に料金がかかるのだが自販機のため三人分相当のコインしかなく、こまっていたら、そこの人が「いいから」というような素振りで我々六人を入れてくれた。中は真っ暗。そのうち大きな爆音、銃の音などとともに戦争の疑似体験が始まった。銃弾はレーザー光で表され、飛んでくる。必死になって銃弾を避けようとしたが何度も当たってしまった。私など戦争に駆り出されたらすぐに死んでしまうことだろう。

記念館の出口付近にはF51、ムスタング、F4ファントム、F86Fなど我々にも馴染みのある当時の戦闘機が多数展示されていた。内部に展示されているので外に展示されている戦闘機よりずっと保存状態がよい。ここでも操縦室の狭さに驚いた。

ヘビースモーカーの私と友人の一人は、タバコが吸いたくてみんなより一足先に外に出た。タバコを吸い、落ち着いたところで、韓国人の金弘根(キム・ハンゴン)さんに会った。この人は私が展示を見ているときにも何度か近くにいて、その時には黙礼を交わしていた人だった。「アンニョンハセヨ」と私が挨拶すると「こんにちは」と日本語で答えてくれた。金さんは七十三歳とのこと。やはりこの年代の方は日本語が話せるのだな〜と感慨深かった。ソウルの気候のこと、オンドルのことなど質問したらとても丁寧に教えてくれた。昔教師をやっていた人らしい。この旅の目的でもあった「韓国の人と知り合い、いろいろな話をしよう」と思っていた私はいろいろなことを訊いた。失礼なこと、答えたくないことは話さなくて結構です・・・と前置きしたのだが金さんは日韓併合時代の小学校教育や当時の雰囲気、日本のこと、日本人のことを語ってくれた。日本語を話すと子供時代に戻るのか、とても可愛らしい日本語の発音をする。金さんは戦争中日本兵として敦賀に派兵されていたことも教えてくれた。当時は関釜連絡船で日本に渡ったそうだ。敦賀での暮らしなども教えてくれた。

「子供時代の【創氏改名】や日本語の教育を受けたことをどう思いますか」と私の失礼とも思える質問にも「自分で選べる時代じゃなかったからね。でも日本の教育はしっかりしていたよ」と答えてくれた。当時の小学校ではカタカナを先に習い、昔と今の平仮名、カタカナの使い方の違いなども昔を懐かしむように話してくれた。

最後に金さんが「私は日本人として戦争に参加したよ、日本人だったら軍人恩給というのを貰えるのに、日本兵として出兵した私にはそれが出ないんです」という言葉は私には重かった。日本を責めているような口調ではなく、淡々とした口調だったことも心に響いた。いくら日韓和平協定で国として韓国側に多額の補償をしても個人にはまったく届いていないのだろうということが改めて感じられた。厚生省の資料などを見つけたら送ることを約した。彼は教師をした後、本屋さんもやったとのこと。

みんなも記念館から出てきたので金さんと記念撮影し、あとで送るということで金さんの住所を教えてもらった。また韓国のロードアトラスや教科書、大韓国旗などどこで買えるかなども質問して金さんと別れた。
【注・帰国後、金さんに写真を送ったのだが、金さんから手紙が届いたと留守電が二回あった。私が留守のときだったので残念に思っていたら後日また電話をくれた。いままでも外国で知り合った人たちに手紙を書いたことは何度もあるが電話でお礼を言われたのは初めてだった。「今度韓国に来たときには韓国の古い家、衣装もみてほしい。案内してあげるから」と言ってくれた。】

金さんと別れたのは一時半過ぎ。全員空腹だったので記念館に隣接するレストランへ。そこでは結婚披露宴が開かれているらしく貸し切り状態。ううぉぉっっぅうっ腹減ってるぞ〜、どうしよう〜と思っているとその反対側にファーストフード店を見つけた。ハンバーガーとコーラと韓国の激辛カップ麺というなんとも変な取り合わせの昼食。空腹のためもあり、美味かった(^^;)。六人分で千八百円ほど。安い。

昼食を終え、今日は二つのグループに分かれて行動開始。


ひとつは子供へのお土産のため免税店に行かなくてはならない者・
足を痛めていたのでスニーカーを買う者で昨日の現場、ロッテデパートに向かう二人組グループ。


もうひとつは金さんに教えてもらったソウル市内の大きな本屋さんとダウンタウンに向かう四人組グループ


六時から六時半の間にロッテデパートの本場ロッテリアの前で落ち合おうと約束して別行動開始。

私は韓国の学校で使われている教科書、それから地図帳など探したかったので仲間三人と本屋さんを目指す。

地下鉄でまたまた事件発生。(^^;)。細かな文字も見える友人がナビゲーターを勤めていて、私たち三人は彼にお任せモードだったのだが、地下鉄に乗り、我々が座席に座った後も彼は地下鉄路線図を見つつ、立ったままだった。そのうち「あっっっ方向が逆だ」と叫ぶやいなや彼が一人地下鉄を降りてしまった。すぐに地下鉄のドアが閉まり、我々は唖然とするばかり。その友人にジェスチャーで我々が次の駅で乗り換え、またここに戻るからそこを動くなっっっと伝え、我々はUターンしてきた。おっっっまたまた事件発生か・・・と思ったが今回は無事また彼に会えた。

昨日乗り換えた「鐘路3街(チョンノサムガ)」で降り、街の中へ。ここは新宿のような感じの街で人で溢れかえっていた。歩道には人・人の波。さらにおびただしい数の露店もでていてお祭りのような賑わいだ。私はイカリングのようにみえる食べ物を買ってみたが、これはイカリングに砂糖をまぶしてあるのでビックリした。大きなゴキブリ系の佃煮のようなものも売られていたが、さすがにこれは試さなかった。

一部歩行者天国になっている通りもあり、そこでは若者達がロックを演奏していた。歩道沿いの露店、古物商を冷やかして歩く。途中、漢紙の専門店があったので入る。ここはいろいろな紙が売られている。和紙というのは日本の紙だ〜ということを改めて感じた。同じような紙でもこちらでは漢紙というのだから。まあ当然だな〜と納得。古書体の印刷をしている漢紙、それから絵の具が適度に散りそうな漢紙のスケッチブックのようなものがあったので友人へのお土産として購入した。大韓旗(テグキ)も欲しかったがこれはいろいろな店で聞いたが取り扱っていなかった。韓国では国旗を各家庭に配布しているかららしい。是非欲しかったが今回は諦めた。

この時点でまだ雨が降ったり止んだりの変な天気。
金さんが教えてくれた「教保文庫(キョンボブング)」を目指して歩くがなかなか見つからない。途中韓国の若者に英語で話しかけると日本語で答えてくれた。彼は日本に七ヶ月くらい滞在して日本語の勉強をしていたとのこと。まだ初心者の域を出ない日本語ではあったがとても親切に教えてくれた。日本の印象を尋ねると「とても良い国だ」と答えてくれた。若者達の日本語熱はひょっとしたら本物かもしれない。

「教保文庫(キョンボブング)」は李舜眞の大きな像のすぐ近くにあった。やはり韓国の英雄だからか大きな通りの真ん中にその像は立っていた。この「教保文庫(キョンボブング)」は韓国一大きい本屋さんとのことで入るとその大きさに驚く。我々はまず一般図書の売られている地下一階に行ったが広さが生半可ではない。まずはComputer用のCD−ROM売場へ。ここで韓国の画像が納められたCD−ROMを友人がゲット。私は「Time」のCD−ROMを購入した。日本で見かけた時は一万円以上していたがここでは33000won(三千三百円ほど)で売られていたのでラッキーだった。面白いな〜と思ったのは「クレヨンしんちゃんと覚える日本語」のようなCD−ROMが売れらていたことだ。ううぉぉっっぅうっしんちゃんのような日本語だったらまずいぞっと。

次に我々は地図を探し求めて売場を回る。ロードアトラスのようなものがあったのでそれをゲット。千円ほどでとても詳細な地図である。教科書売場もあり、そこで韓国の中学で使われている世界地図帳も購入。これは教科書ということで三百円ほどだった。

ここの書店で驚いたことは若者達が書籍売場の床に座り込み、陳列されている本を手書きで黙々と写していることだった。とても熱心に写している。向学心があるのだろうが日本でこういうことをしたら即チェックされることだろう。店員達もなんの咎め立てをしない様子を見ると韓国では一般的なことなのかもしれないな〜と変なところで感心してしまった。この本屋さんは七階まで専門書など売られているということだったが別行動の友人との待ち合わせ時間が迫ってきたので未練たっぷりに大急ぎで「教保文庫」を後にした。

チャムシル駅で降り、ロッテデパートのロッテリア前で無事友人達と会えた。六時十五分だった。別行動の友人達も娘達へのお土産のブランド品やクッションの良いスニーカーなど購入できた模様。昨日に比べると今日は時間が早いのでまだデパートをやっていた。靴下一足百円、ワイシャツ五百円などととても安い。友人達と見て回る。衣料品がとても安かった。ブランドもののシルクのネクタイなども二千円ほどで売られていた。会社勤めの友人などは興奮して買っていた。私は自由業なのでネクタイはまったく必要としないので帽子などを冷やかしていた。地下鉄乗り場に続く場所でもロッテデパートのワゴンが出ていてここもかなり安い。Levisのシャツが七百円ほどだったので購入した。(帰国後着ているがカッチリした出来でとても良い。これだったらあと五枚ほど購入してくるんだった・・とザンネン。)

今日も歩き疲れているのでまた韓国の家族連れで賑わうロッテデパートのレストラン街へ。今日は骨付きカルビを食べようと「李朝」というレストランに入る。ビールで乾杯のあと憧れの骨付きカルビを食べた。ここはとてもきれいなお店だった。いつものようにキムチ、カクトゥギなど食べ放題なのだが、その他ワタリガニのキムチも出してくれた。これは美味かった。骨付きカルビは骨に肉を巻き付けた状態で出てきて、鉄板の上で伸ばして焼く。焼けてくると料理ばさみでパチパチと食べやすい大きさにお店の女の子がカットしてくれる。友人の一人が焦って食べようとすると「まだ〜」と注意されてしまった。焼き上がるとその子が「食べる〜」と独特のアクセントで教えてくれた。なかなか面白い。眞露という焼酎、韓国のビールもとても美味く今日も我々は思いっきり食べた。今日のこのお店は少し高く一人三千円ほどかかった。まあモノスゴイ量を食べた我々であるからこのくらいは仕方がない。日本で同じものを食べたらきっと一人一万円近くはかかったことだろう。

九時ホテル着。今日もものすごく歩き回った一日だった。てくてくエンジェルの「ころ」ちゃんの報告によると二万歩弱の歩数だった。

その後反省会などと称して今日も午前二時まで呑んだ。
もう明日は自由に動き回れる最後の日。四泊五日なのでもっとゆっくりできるかと思っていたがアッという間に時間が過ぎていく。

         その五に続く予定(^^;)

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