2001.10.27号 07:00配信


オホーツクの町村紹介

興部町

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ここは、webnewsで発行しているメールマガジン「週刊webnews」で特集したオホーツクの町村紹介を再収録したものです。「町村紹介」は、町外者の視点で見た町の紹介を基本コンセプトとして毎月第三水曜日の配信号に掲載しております。オホーツク管内には26の市町村がありますが、その中から町村のみをとりあげ毎月紹介します。


興部町(おこっぺちょう)人口4,993人(2001.9.1 現在)
人口約5千人の町、興部町に台風一過の日、取材に出かけた。海は濁り、牧草地は湿地のように大きな池を作り、台風の爪あとが生々しいながら、漁師町そして酪農の町は静かな時間が流れていた。興部町は沙留地区と興部に分かれる。紋別方面から向かった私たちは、まず、沙留地区に入った。(深尾朋子)

オホーツクファンタジアにある興部町のHP
http://www.ohotuku26.or.jp/organization/okoppe/index.html


ひし形と丸い窓がおしゃれな住宅
沙留地区はとても大きい町のよう。漁師町らしく港に家が集中している。平成元年まで汽車(名寄線)が走っていた町だったらしく、昔の活気あふれる町並みがひっそり残っていた。沙留の駅は今は現代風の変わった町営住宅(新沙留団地)になっている。普通に無駄なく作れば4軒分が入るスペースに、3軒分のユニークな建て方をしている。二階の住宅のバルコニーがとてもおしゃれだった。白い壁は台風の去った青空にまぶしく映り、エーゲ海の白い家のようにも見える。その住宅の向かいに、こちらは無駄なく真四角に区切られた住宅を見つけた。窓はひし形と丸いものがある。幾何学的なその窓は白い町営住宅に引け目をとらないおしゃれな形だ。5階建て、奥には10階建て。この古びた住宅はタコ壺らしい。古さから言ってもう今は使われていないのか、新しい住人を待ちながら草むらの中でのんびりと建っていた。


昔を偲ぶ
沙留の町を見ていると、ふと私の育った静岡を思い出す。どうしてだろう、懐かしさがこみ上げる。潮の匂い、不規則な細い道、祭りの後のちょうちん、古い町並み、、、、そう、あった、ブロック塀だ。北海道ではなかなか見つけられないブロック塀がここにはあるのだ。潮風を防ぐためなのかその用途は静岡と違うと思うけれど、懐かしくて故郷に帰った気持ちになって目頭が熱くなった。そんなブロック塀のある庭から張り出した木の枝に、みかんがたくさんなっていたら、まさに静岡だなあと。それはありえないとしても、内地からの旅行客はきっとこの町を不思議に感じる事だろう。


おしゃれな自転車店
都会でもこんなおしゃれな店はめったに見られない!そんなお店が沙留にあった。真黄色に塗られた小さな小屋がバス停の向かいにある。正面はガラス張りで、よく見ると自転車がその小屋の中で宙に浮いている。さらに自転車の籠など、あらゆるものが小屋の中に浮いている。「7ハンライダー」と名前の書かれたその小屋にしばし目を奪われた。こんなすごいディスプレイは見たことがない。何度となくその前を通り過ぎ、何度でも目がくぎ付けになる。同じような黄色に塗られた自転車やさんが隣にあった。どんな人なんだろうか。少し知りたくなった。


いつでも出動中
漁師町の沙留は台風直後のため、とても静かだ。港に行ってみても、たくさんの船が停留されたままでどうやら今日も仕事が出来ないらしい。静かに網の手入れをしているおじいさんが岸壁でひとり背中を丸めながら座っている。かもめが早く漁をしてほしいとおなかをすかせておじいさんの上を飛び回っている。その光景を見ていた私の横で、カメラマンはうなりだした。なんともいえない古い形の真赤な消防車がたくさん巻かれた綱に取り囲まれて眠っている。あっちにも、こっちにも消防車が眠っている。古い絵本に載っていた昔のポンプ車の絵とそっくりなものがこんな港にあるなんて、とても意外だった。まさかこれも、あの自転車やさんのごとくディスプレイだとしたら、なんと芸術的な町だろう。ポンプ車ばかりだから、網の洗浄にでも使うのだろうか。本当のことをおじいさんに聞いてみようと思ったけれど、おじいさんは車が近づいても振り向かない。もくもくと仕事をする姿に声をかけられず、そっと港を去ることにした。いや、このおじいさんの発案したディスプレイかもしれぬ。うつむきながら「どうだ、参ったか!」とにやけていたら、面白いだろうなとおじいさんの後姿をいつまでも見ていた。


青い芸術
黄色い小屋、赤い消防車と来れば、青の芸術はなんだろう。その答えはすぐに見つかった。波打つ音に引き込まれ、着いたところは海水浴場だった。夏の活気とは裏腹にそこはゴーストタウンのよう。海の家の窓にはこげ茶色の板がはめられ、この夏たくさんの人たちの脳裏に焼きついた花火が、砂に埋もれてさびしそうに潮風に揺れていた。大きな流木が波に流されてたくさん打ち上げられている。夏の賑わいはあっという間に消え、あとの10ヶ月あまりを静かにこうしてじっと休んでいる。海水浴場から階段を上がると、そこには海を臨む場所に二つのコテージがあった。最近作られたのか、まだ新しい。そのコテージの窓から遠くのオホーツク海が見えた。はっとするような青さだった。そう、今は台風の直後。浜のそばの海は茶色く濁っている。顔を上げると遠くには真っ青な海が広がっていた。青の芸術は、この海のような気がする。人の手で作られたものではなく、この沙留を温かく抱きしめている大きなオホーツク海。この青は冬になると白くなり、そして春になるとまた青くなる。そうした海は世界中でめったにない。ここオホーツクの海は立派な芸術品だと思う。


笑顔の人たち
懐かしいはずの町はすっかり別な町になり、はじめて来たかのような錯覚を覚える。大通りの商店街は驚くように変わり、駅も立派になった


鉄道あと
笑顔を絶やさないでいられるその理由はなんだろう。興部にはいろんな建物がある。その中でも珍しいのが風力発電の巨大な風車だ。3本の羽根がブーンブーンといって回っている。あんなに大きなものが、風で回るなんて不思議だ。どんな日でも回る風車は町民の笑顔そのもののような気がする。そんな風車はオホーツク海を見つめている。その海のそばに、かつて走っていた鉄道の跡を今も見ることが出来る。

興部町には7つの駅があった。
オホーツク海には漁師町沙留、海に近い豊野(とよの)、高校そばの旭ヶ丘、そして興部の駅があった。興部の駅から内陸に向かって北興(ほっこう)、宇津(うつ)、班渓(ぱんけ)がある。今回、内陸部には時間がなく行く事が出来なかった。役場の職員の方はこの内陸の地方こそがとても面白い場所だとまた笑顔で話してくれた。旭ヶ丘、豊野の駅跡を探す事にした。旭ヶ丘は高校の裏手らしい。もう駅の跡形もない。ただ、枕木が山になって積んである場所を見つけた。その脇には小さな道があり、うっそうと周りが背丈よりも大きいイタドリの葉で覆われている。きっとこの奥に、、、と歩いていくとやはり線路の跡があった。あたりは草で覆われ、秋の花エゾリンドウが誰もいない駅にひっそりと咲いていた。豊野らしき駅跡では、大きなショベルカーが地面を掘っていたため、そばには行けなかった。
 
確かに、平成元年まであったその鉄道は人を乗せ、荷物を乗せ、そして笑顔を乗せてこの町にやってきていた。今は鉄橋がわずかに残り、線路があった場所には草の道が残るのみになり、それもショベルでやがて消えていく。しかし、人や荷物を運べなくなった今も、笑顔だけはこの草の道を通って遠くからこの町にやってきているように思う。現代の風車が風を切って回り、笑顔の汽車を呼んでいるように思えたからだ。ずっとずっと回り続け、おいでよと手招きしているような。だから、いつまでもこの町は笑顔でいられるような気がする。ずっと元気な町でいるような気がする。

◎興部町の写真はこちら
http://www.mediaservice-jp.com/webnews/01_0919okoppe/okoppe_01.html

【今回のライターは、深尾朋子さん】プロフィール

静岡出身、帯広畜産大学で経済学を専攻し、サロマの畑作農家の人と結婚。現在環境を考えた草木染をし、町内外でワークショップを行っている。サロマのメルマガのスタッフ。「ともの染め日記」担当。





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