2001.6.17号 07:00配信
【ごりさんメール】
|
||||||
今日はわたしの父の命日でした。25年もたってしまいました。ごりさんは亡き人に対する気持が深く、心から思いをはせてくれます。そしてわたしの父のお墓は偶然にもごりさんの故郷、広島なのです。亡くなったのも随分前だしお墓も遠く、なかなか行かれず父さん子だったわたしも父のことを思うのは少なくなりました。 それでも亡くなった時の事は良く覚えています。わたしはまだ学生でしたし、突然の死でしたのでショックは大きかったです。大阪から大急ぎで北海道に帰りました。6月16日、その日の大阪は暑く、初めてノースリーブを着て出かけた日でした。急いで持って出た長袖を、札幌に着いた夜に袖を通しました。あの日の大阪の照り返す暑さと札幌の夜の空気の冷たさをはっきり覚えています。 思いもかけず6月の北海道の地を踏んで、その美しさに目を見張りました。あちこちにたくさんの花が咲き乱れ、本当にきれいでした。父はわたしにこれを見せたくて呼んだのかとさえ思いました。焼き場の周りにも幼い頃好きだったマーガレットが咲き乱れ、清楚な花に見つめられ、抜けるような青い空に父は白い煙りとなって上っていきました。 父は几帳面なきっちりとした性格の人で、わたしとは似ても似つかないまじめ人間でした。「きちんと」といつもいつも言っていたように思います。早くに亡くなってしまったからか、わたしにはその「きちんと」が身に着かずに終わってしまいました。本当に物知りで、何を聞いても答えてくれ、百科事典は必要無いほどでした。 好物はピーナツでした。出始めのアスパラガスをとてもおいしいとも言っていました。矢車草を好んでいたように思います。それなのに今日は何もお供えなし、やっぱり薄情な娘ですね、これじゃあ父さん子ではないな。明日、供えましょう。この頃いつも「明日は」と言っている気がします。本当は今日からでなくてはいけないのに、そう思った途端、父の「そうだ。」という声が聞こえた気がしました。父さんの声でした。
|