2004.9.25号 16:00配信
「歩いて日本1周している人がオホーツクを通ります。」そんなニュースがパソコンに飛び込んだのは、かれこれ3年前の5月の連休の頃。「歩いて?」「日本縦断ではなくて1周?」そんな驚きとともに、どんな人が何のためにと興味がわいた。 その人は“ごりさん”、何のためには特に目的や訴えがあった訳ではなく、ただそうしてみたかったからだと言う。縦断ではなく1周も、最初は走って行うつもりだったらしい、それが足を傷めたために走行を徒歩に変更しての行程となった。 元旦に沖縄を出発し、日本列島の大平洋側をずーっと北上し、熊の危険と戦いながら雪の知床を超えてオホーツクに出現したのはまだ春浅き5月の連休であった。ネットサポーターからの連絡でこの地の通過を知ったものの、どうにか力になれないものかとさっそくオホーツク応援団が設立された。 ご本人との出会いは“道”であった。てくてく、てくてく一人で歩いておられた。春の冷たい雨が降る日であった。何だかとても心配で、小さな子どもを見るような心持ちになったことを覚えている。 とにかく1泊来ていただいた。夜は栄養剤のお酒と睡眠薬のお酒とで、すぐに気持ちも打ち解けて、早くも永年の付き合いのある友人のような気持ちにさせられた。ゴリラのごりさんであるが、繊細な気持ちの持ち主でもあり、またもちろん強靱な肉体と精神の人でもあった。 翌朝、オホーツク海に登る素晴らしい朝日の中を彼は出発した。道のかたわらに白い水芭蕉が満開であっったのを覚えている。そしてその後ろ姿は凛ときびしいものであったようでもあり、また優しい気持ちがそれとなく漂っていたかのようにも思う。 その後、オホーツクを再びてくてくと北上し、日本海側へ抜けて彼の旅は続いた。東京のご自宅の奥様からは、時々心配のメールもいただき、こちらからはできるだけ地図を追っての情報を送り、交信はずっと続くことになった。 彼が日本1周を終えたのは秋も訪れた9月である。どうにかお祝の気持ちを伝えたいと、とうとうゴールへ参じることにした。日本列島を北の端から九州までひとっ飛び。この飛行機での数時間を、かれは全て自分の足で250日かかって歩き通したかと思うと、胸にせまるものがあった。 ごりさんの日本1周が終わり早くも3年の月日が経った。その間も交流は続き、こちらへも来ていただきまた東京でもお会いした。この度はこのおつき合いのきっかけとなった彼の日本1周のすべてが1冊の本になり手許に届くことになった。 表紙をめくり、日本全国での様子の写真の最後には「webnews」からの「あんたはえらい!」の表彰状も写っている。更にめくると、旅の記録のところどころにある一人旅の友でもあった彼の俳句も楽しみのひとつである。まずは手に取って、わたし達には決して体験することのできない『歩いて日本1周』の旅に、あなたも出てみてはいかがだろう。 |