2004.3.1号 10:00配信


寧楽通信2004年1月号




「雪」山口 智也
今回の冬は雪がないとおもってたら最近雪が多くなってきた。やはりどこかでちょうじりがあうとかんじた。


「とうもろこし人形」正田 裕美子
毎日犬のさんぽに行っています。とうもろこし人形を作っています。お人形作りはひよこが生まれて来る様な気持ちです。旭川友の家のクリスマスに売り物にする予定で持っていったけど時間がなかったです。よろこんで作っているので張り合いがあります。


「人材募集」本巣 秀樹
あけましておめでとうございます。どうも本巣秀樹です。今回も人材ぼしゅうをしたいとおもいます。十五才から二十六才までの男女。ねいらくではたらいてくれる人だいけんげいですので、ぜひ来てください。今年もよろしくおねがいします。


「豚の世話」宮野 憲一
僕は二十才の宮野憲一といいます。(釧路出身)まえにもここではたらいていて、いろいろあってやめたのですがまたもどってきました。それはやっぱり自分は動物が好きだからです。豚はおおきいし、噛んでくるしいやになるけど、かわいいし元気をくれます。朝おきて豚をみると一日がんばるかという気持ちにさせてくれます。だからこれからも豚を一生懸命そだてて美味しい肉をつくっていきたいです。


「きくいも」垂水 秀一
寧楽共働学舎での二〇〇三年の成果の一つとして学舎の土地に自然に生えていたキクイモをつけものにしたりサラダにしたりする試みがあげられる。キクイモは繁殖力が強く今までは退治の一環として動物の餌に回していたが、確実ではないが、インターネットには糖尿病などの生活習慣病に効果があると宣伝されキロ当たり三〇〇〇円くらいで売られている。今回試作したキクイモのつけものは味もまずまず、結構いけるので、それをそのまま放っておくのはもったいないし、逆に宝の山を見出したと言ってよい。健康食品としても活用でき輸入品に頼らなくても十分国産でやっていけるような気がする。その点では一石二鳥三鳥の発見であったと言えるだろう。


「怪我」長岡 上
二〇〇三年の年末は雪が少なくくらしやすい冬になっております。一昨年、昨年の二年間は春先に大怪我が続いたので今年こそ怪我のない様に気を使って行きたい。 豚は割合順調に育っております。


「いい人」長岡 道子
結婚して一七年目になります。いい人とめぐりあえて名古屋の人と結婚しました。けんかをしません、なかいいです。主人の仕事はブタの世話とエサつくり、薪つくりです。私はソーセージのこともしています。ソーセージをつるす仕事です。昼食つくり夕食つくり女の人とこうたい、こうたいにつくっております。
毛利家新しい家たちました、今度みにきてください。毛利家は仲いいです、福澤家も仲いいふうふです。福澤家は上、長岡家は下なの、よくきこえます、よくひびきます。一人でも二人でも女の人きてください、女の人ぜひ来てください。


「新しい家」毛利 健三
昨年の五月に引っ越しした新しい家で迎えた初めてのお正月は、雪も少なく穏やかでした。新しい家はなんといっても隙間風がなく、温かいのと、屋根から落ちる氷に神経を配らなくていいのが一番です。改築後五十年たっていた古い家は、柱が傾き、落雪が歩道側に落ちる為、十日に一度くらいは長いはしごをかけ、屋根の氷を落とすことが、冬の最大の仕事になっていたからです。
私生活では四人の娘の彼氏達が入れ替わり立ち代わりやって来て、にぎわいました。二女は今年結婚することになりそうです。家族の在り方もどんどん変わっていきます。
お正月に実家に戻っていたメンバーも帰ってきて、寧楽共働学舎もにぎやかさを取り戻しました。トイレの壁に張ってある晴雨表に、天気ばかりでなく、主な行動や「初雪」「根雪」「田植え」「稲刈り」といった出来事も書き込んでいきます。今年はいつになるのか、どんな事が書かれるのか、我ながら興味があります。


「新展開」毛利 順子
今日は風がなく雪が空からまっすぐに落ちています。大きな窓から見える景色はまるで額縁の絵のようです。まきストーブが時折パチパチと音を立て、ゆっくりと私達をあたためてくれています。
昨年も多くの方々に支えられ無事新年を迎えることができました。年末には沢山、友の会から心あたたまるプレゼントを戴きましてありがとうございました。振り返ってみると昨年の北海道は冷害でしたが寧楽共働学舎においては、稲も農作物も有機栽培の底力を発揮したようで、米の終了も例年並かやや良のようで台所をあづかる私達にとっても、うれしい収量になりました。畑の草取り、田植え、稲刈りとお手伝いをして下さった皆さんさぞ大変だったろうと思います。感謝致します。
また、集会室付きの我が家も出来て、五月には入居、夏休みには深川友の会の子供部のお泊り会、例会と交わりを持つことが出来てとてもうれしいです。今年も皆さんに多いに利用して頂けたらと思っています。
私事では、今年は外へ向けて発信したいと思っています。子供から手が離れたはずなのに、相変わらず家の中が好き、出たがらない、これは自分にとって良くない、外へ出る必要があると感じています。心も身体も体質改善ということでしょうか。もうひとつ、我が家の二女あつ子が七月一七日に結婚することになりました。手作りの小さな結婚式をする予定です。ウエデイングドレスは無謀にも私が作ることになり、先日、生地を買いに旭川に行ってきました。本当に縫えるだろうかと心配です。縫いたい一心でさてどうなるやら。子供からは「母さん早くやってよ!いつも遅いんだから」と言われ「前日にならないようにやるから」と私。これは私より娘の方が心配か。


「ふるさと」小原 功三
去年の八月寧楽に戻ってきました。メンバーも前にいた時とほとんど変わってなくて安心しました。故郷というものをもたないと言ってもいい私には寧楽は心の故郷だとも言えます。二五才の時初めて寧楽に来てから十四年の歳月が過ぎました。大学を病気の再発で三年休学してからの十年間はいろんな事があったけれども、あっという間に過ぎてしまいました。私の好きな歌手のフレーズに「人恋しさは、年をとったしるしでしょう」という部分がありますが、今まさにその心境でいます。しかし寧楽での生活は同じ屋根の下にメンバーが暮らしていて孤独を和らげてくれています。それから毎日、手作りの食事を作ってくれている寧楽の女性の人たちにも感謝しています。


「桜の花」尾崎 佳裕
桜の花はとてもきれい。山の桜を見るのがちょっとした幸せだった。これまで桜の花はただ美しく散りゆく姿は儚く見えたけど、少し都合よく見ていたのかもしれない。今はその伸びていった枝にほかの木との争いを見るし、付着したコケやついたキズに年月の重みを感じる。ただ賛美するだけじゃなくて醜かったり汚いことが見えるからこそ、ひとつひとつ違う形の輪郭が少しづつ鮮明に見えてくる。二〇〇四年の春はまたひとつ別の要素もみられたらいいなとおもいます。


「 」林  英慶
札幌はごんどうの冬休み帰る日、どんならかすらめがいる豚のそうじにやってきます。ソーセージ作りにやってきました。はなしをきっともしかししてい。こんしゅうの土曜日買い物をやりにぐにしてください。日曜日にお金をたすこっとにしました。こんでゆくともにまじしゅう木工にしながらやってください。こんど買い物にうるさかったこっと、土曜日におわりしながらパニックおこして、動物に豚出荷にはじめこんどの土曜日に買い物にしってやたとき、イエローカードに一枚によってきました。こんしゅうは、土曜日にとこやにつれてきません。ことなく、こんしゅうはたれもいないし、ただしくなっています。ぼくは二十三日に帰る日羽田にひこうじょうまで、電車にのっています。バスにのっています。こんなかなしいよか、はなしよ、つくこと、たれもいないのこっとやります。(林君が書いたそのままです)


「近況」福澤 雄平(21才)
白い雪が辺り一面を覆い尽くしている寧楽の冬ですが「故郷はこんなに寒かったのか?」と妙な驚きを感じています。
僕は今東京から、お正月のため寧楽に帰省しているところです。僕も昨年の十一月で二十一歳になり同期の者は就職活動、結婚などをしておりそれらを目の当たりにすると「気がつけばオレ達すっかり大人じゃん・・・」としみじみと感じる毎日です。そんな中僕はプロのミュージシャンになるべく東京でバンド活動に精を出しています。担当はボーカルです。といってもなかなか固定のメンバーが見つからず定期的なライブすらままならない苦しい時期が続いています。最近思うことでバンドのメンバーというのは、さながら恋人のようだと感じることがあります。バンドを辞めたいと言われるのは恋人にフラれたのと似たようなショックを受けますし、逆に自分がこれ以上は一緒にやれないというのを伝えるときは、ほとんど経験がありませんが恋人をフルような申し訳ない気持ちでいっぱいになります。又、だんだんヤル気をなくしているメンバーを見るのはまるで自分に冷めていく彼女を見ているかのようです。ヤル気がなくなっているのを感じているため連絡が取りずらくなり自然消滅・・・というのも恋人との別れに至るよくあるパターンだと思います。いずれにしても非常に辛い気持ちになります。とはいえバンド活動をしている以上は常につきまとう問題でありこれらを乗り越えてプロへのし上がっていかなければならないのですが僕の場合この「別れ」を経験したくないが故にメンバー探しに慎重になり過ぎているのかなと思う今日この頃です。この辺が僕の精神的に未熟な、そしてバンドというものをやる上で致命的な欠点かな・・・と思ったりもします。しかしバンドをやりたいという思いは非常に強く又、東京に来てもうすぐ二年になるという事もあり、あまり深く考えずいい意味で無心になってもっとメンバー探しに積極的にならねばと思っています。決して順調とは言えない東京でのバンド活動ですが自分のやりたいことがやれる毎日はとても充実しています。又、その様な環境を与えてもらっている両親に深く感謝しています。東京に来て、やりたいことをやらせてもらえないという人達を何人か見てきました。とてもかわいそうな事だと思います。そんな人達が一人でも減ってくれればと思います。そしてぜひ夢を!(コンビニのバイトをして生活費を稼いでいます)


「花鳥風月」福澤 和雄
東京は日本橋生まれ日本橋育ちの好い加減な人間が自然が好きで何とか自然の中で生きられないかと模索した結果が現在です。二十一才ごろ意思したものが自分の想像を超えた形で実現している事に感謝と驚きを感じ、更に加えるに今は主に対する信頼を深くしているところです。現在の自分に至るのに何か努力したとか、才があったとは思えません。あるとすれば、望みというか意志だけは強くあったと思っています。体力も若いときと比べれば五分の一ぐらいになりました。プロと言われる様な特別な技術も知識も無く、少し器用で好奇心の強い全く取るに足らない一個人ですが、しつこく意志することはちょっと得意かなと思うようになりました。
今年は世界の平和をこれまたしつこく希望しようとかんがえています。何も行動しないで部屋にこもり祈ることで世界が平和になると思うのは甘い考えだと思う人達もいるとおもいますが、自分の半生を振り返るとこれと言った努力や辛抱もなく、意志する事のみの三十五年でした。隠居して花鳥風月を友として祈る生活がここ二年私の夢となりました。正義より平和!


「  」山口富子(知也君母)
新しい年を迎え、気持ちも新たにしたく思います。早いもので寧楽で暮らしはじめて五年になります。あっという間にすぎたと感じています。学舎のみなさんに支えられてすごせた毎日だと、ありがたい事と感謝しています。私なりに出来る事、毎日ありますし食事作りではメニューを考え手順よく支度する。けっこう頭の体操になっているようです。なにもしないで過ごす年寄りにはなりたくなかったのでとても良い生活だと思えます。
ここで暮らす事で私なりに考えている事、みんなと仲良くが一番大切ではないかと、むずかしい事も多くありますが、アシジのフランシスコの祈りの言葉を思いうかべ、みんなと足並みそろえて行けるよう心掛けます。
実際は老人ですが気持ちはいつも若くもって、そう出来たら少しでも良い生活になりそうです。息子のためにも若くいなくては。今は冬、もう少しで山菜の季節が来ます。おいしいものがたくさんです。自然の中で暮らす一番のぜいたく、楽しみです。


「体調」小林文子
膝の調子がだいぶ良くなり痛みを感じる事なく母屋と工場の間を歩ける様になりました。一歩一歩がうれしくて仕方ないです。一年目はほとんど出来なかった田植え、稲刈りも三年目(去年)は初めから最後まで出来ました。
編み物はすこしづつはじめました。目の痛みがやっとなくなったと思ったら、手元が急に見えにくくなってしまいました。今は信州共働学舎の女の人のチョッキを編んでいます。以前は「月に何枚、年に何枚編めるんだろう。もっと編みたい、もっと色んな物をたくさん編みたい。」と早朝、夜、休日も編み続けていました。体調が悪くなりやっとそれは間違っているなと気づきました。今は枚数は少なくても一枚一枚、私が出来る事、編める物を大切に作っていこうと思っています。編み物も、除雪も時々やりすぎてブレーキがきかなくなります。このポンコツ車をうまく調整、コントロールして楽しくつきあっていきたいです。それが私の今年の目標です。


「  」福澤裕子
私は休めない病のそれも慢性のようです。身体の方では胃炎、これも慢性。両方共根っこは一つなのかもしれない。変なもので、メンバーも日中の仕事を休む土曜日の午後と日曜日はほっとできる楽しみな時なのに家庭に戻ったら戻ったで安らぐと同時に主婦としてやりたい事がこなせないまま一日が終わる。正月休み、夏休み、一時メンバーの何人かが帰省するとなれば安堵感と混乱は倍増してしまう。この年末は釧路を追われるようにしてやって来た、再度入舎の宮野君を向かえ、正直息切れ状態だった。又、小原君は人が少なくなって福澤家がにぎやかになる休みに落ち込むことも聞いていた。
年が明け休み上手になる志を立てた。福澤家では独身のメンバーが我が家で朝食を食べる事から始め、同じ屋根の下に住み、全ての事が細切れになり、目や耳に入る中で、何かを思い切らなくてはと思い午前中打ち合わせ後の二時間半をフリーにさせてもらうことにした。ありがたいことにその体制は整っていたのに私のふん切りが悪かったのだ。
又、このお正月気づいたのですが宮野君が加わったことが決して心配事だけでなく二十代の若い二人にとって良い調和を感じられ、これは学舎ならではのハーモニーかなとありがたく思った。小原君は通信に女の人が手料理を作ってくれる感謝を書いているが、実は彼は常々私達を混乱させる胡麻尻君との穏やかで楽しい会話で救われている事を胡麻尻君不在の正月休み中に知った。
思いわずらう事はない。神様が一方的に送ってくる人がここでどう混じり合い困惑しながらもどんな音を響かせ合うか心静かに耳をすまそう。休み上手になるために日曜日は安息の日であることが今になって初めてわかった。ここ何年かは日曜日は安息の日ではなく六日間の残骸を持ち込むごみためみたいな日だったから居心地の良い日ではなかった。この日に持ち込めると思うと安心してきた面もあるが、このごみためももう満杯になった。一日一日を完結して生きてゆかねば、創り主がすべての業を終えて休んだ日それを私達にも与えて下さっている。
毎週というわけにはゆかなくとも、時々メンバーとぞろぞろ教会に行こう、時には我が家の窓から何もしないで雪景色を眺めて満ち足りたい。(夫はそれができる人だ)手仕事をしたらどんなに安らぐだろう、時には目的を持たずここを離れて過ごす時もいただきたい。
この生き方を心底ありがたく思い楽しんで生きてきたが長い事この身が拘束されている思いが拭えなかった。これからの開放につながるかもしれないという今、期待を込めて糸口を探り始めている。                


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