みなさ〜ん!今日、とても嬉しいことがありました。とある新聞の朝刊に少年が笑顔で蝶の標本を持っている写真載っていました。その笑顔は、十数年前マレーのジャングルで出会った純真な子供たちのようでした。実は、この笑顔。この笑顔を見るために、今僕は仕事をしているようなものなのです。発見の喜びに満ちた少年の笑顔は、まぎれもない絶滅危急種の昆虫少年でした。この笑顔こそ、虫屋の将来に明るい萌しを持たらす一筋の光りなのだと思うのです。さらに、この少年たちはもしかすると、僕の後を次いで資料を守る博物館人になるかもしれません。ぜひ、なってもらいたいのです。
そもそも博物館に納められている資料の数々は、北見市の自然の成り立ちや、その中で営まれる人々の生活を語る貴重な文化遺産であります。また、この資料たちの命は、何百年も何千年も、館の寿命や学芸員一人の職責期間より遥かに長生きをするのです。
資料あっての博物館、資料こそ命、とくに文化センターのような地域の博物館は、北見市に関する資料は、世界一のコレクションの蓄積を目指しています。そこに含まれる大量の情報を抽出し、デ-タに基づき体系化することで、「いつでも、どこでも、誰にでも」北見情報をわかりやすく説明することができるのです。北見市の歴史や自然を知ることは、この町を好きになる原点でもあります。人が一生持ち続けるであろう大切な「ふるさと観」の形成には、なくてはならないものなのです。とくに未来へ続く北見市民である、子供たちが「この町に生まれ、住んでてよかった。」感じることこそ、町づくりの基本ではないでしょうか。
しかし、その根幹をなす資料の蓄積にとくに重点を置き、継続して収集・保存・管理を行う欧米の博物館とは逆に、日本の博物館では不完全な部分なのです。ですから、学芸員として市民の宝(博物資料)を預かりながら、ふと「僕の人生より長生きなこの貴重な資料たちを、いったい誰が守っていってくれるのだろう?」と少々不安な気持ちにさせられることがあるのです。
でも、この子供たちの笑顔がある限り、博物館を支える市民が一人でもいる限り、昭和四十二年に郷土史研究会会員ら、多くの市民の願いを込められて施設され、もうまもなく働き盛りの三十五才を迎える博物館は永遠に生き続けることでしょう。がんばれ昆虫少年、僕はいつまでも君たちを応援するからね。
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