本日は、多分、無事にオホーツク海の北端の村の民宿に一人で泊まっているはずです。ここのは遙か昔、かのベーリングも滞在したところです。
はじめての地、治安頗る良くなしとの情報あり、じっくりとこの地の流氷を眺められればと願っています。
季節はずれですが、留守用にかって走り書きしたおにぎりの思いで話をお届けします。
丸い梅干し入りのおにぎり
オホーツクの短い夏を惜しめとばかりに研究室の庭の白樺の梢が僕を誘う。某編集者から電話がきた。「テーマは、自然の中にでかける時、もっていくもは・・・」、話の途中から僕の心はすでに旅支度に入っていた。腐れ縁のパソコンの電源を小気味よく切る。我が体内・内蔵型の記憶装置は、早くも「自然」、「旅」、「持ちもの」の三つのキー・ワードを基に回転し始めていた。
次々に旅の映像が浮かび上がる。幼き日の生まれて初めての一人旅。汽車の窓、見送る母の優しい目、心細さにベソをかく僕の顔。祖母手作りの黄色いリックサック。
海水浴場への山の小道、海と入道雲。竃の煤を僕のこめかみに擦りこみながら、小さな旅の安全祈願のおまじないをしてくれた祖母の小指。籐で編んだバスケット。
独りぼっちの教室。南国長崎の秋の日照り。母の負担を思い、やせ我慢で止めた修学旅行。ついに使わずに終わった亡き父の時代物のボストン・バッグ。・・・・・
妻や子供たちに見送られて発った空港の雑踏。氷山の浮く北極海。キャスター付きの旅行鞄。
それぞれの旅の入れ物には、それぞれの風景、それぞれの想い出が包まれている。
おっといけない。我が記憶装置は情感の世界で暴走する癖がある。編集者の問い「旅にもっていくもの」に応えなければならない。
回答は、旅の入れ物に共通して入っているもの。抽出されたのは「おにぎり」であった。
おにぎりをにぎってくれた手の主は、祖母、母、姉、妻そして娘たちと代わっていった。しかし僕の旅はいつも丸い梅干し入りのおにぎりと共に始まるのだ。いざ、旅の衣を整えん、梅干しのおにぎりの包みとともに。
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