2002.6.3号 06:00配信
前回も書きましたが、北海道は“大運動会”シーズンに突入です。先日、某中学校の運動会を観戦しました。我が家に中学生はおりませんので、そのほとんどが初めて見る子ばかりでした。 過去に経験した運動会といえば、その学校の生徒(つまり選手)としてだったり、教員という立場での仕事であったり、また我が子の晴れ姿を見ようという母としてであったり。ほとんどが勝ってほしい人がいたり、応援する対象が決まっている運動会でした。今回、観戦させていただいた立場は、言うならば第三者です。知っている子はほとんどおらず、生徒に関する情報も全くありませんでした。“無”からの開会だったのです。 隣で一緒に観戦していた心強い、我が理解者の奥様の情報だけが全て。まずは、自分の見方で走者を見る(お、なかなか意地の強そうな顔つきだな。とか、ニヤニヤしてて力を抜いて走ってるな。とか)その後で、先ほどの奥様のアドバイス(やる時はやるってタイプの子だよ。とか、普段から気おくれするのよ。とか)自分が見た第一印象と、小さい時から身近で見ている方からの話しとを照らし合わせてみると、第一印象って中て外れだな〜と感じたり、私の目もまんざらじゃないな〜と思ったり。待機中は土をいじったり、友達にちょっかいかけたりで感じの悪い子が、走り出した途端、顔つきが変わったりするような場面が見れたりするのは、“個”に対する先入観が全くなかったからだと思い、それだけで自分にとって価値のある運動会だったという感動にも似た気持ちを胸に帰宅しました。 複数の子ども(大人でもそうですが)、を対象に見ていると、「誰もが知っている“個”」は当然見れるのですが、「他人が知らない“個”」や「“個”でさえ気付かなかった一面」が見れたりするのですね。そういう事を考えている内に、私自身が気付いていないのに人様が知っている一面があったりしてー、なんてワクワクするようでもあり恐ろしいような気さえします。盛んに言われている“個”というものの素晴らしさとは、それを見つけた時の楽しさとうものに値し、『人間っておもしろい』というニュアンスの言葉が生まれるように思います。この経験を与えてくれた、あの中学生達に心から感謝の気持ちでいっぱいです。 |