1999.12.8号 11:00配信


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中頓別町の情報
中頓別町の砂金堀りについて

中頓別町は北緯45度線上、宗谷管内の東南に位置し、東南に歌登町、北は浜頓別町に接し、西及び南方は手塩山脈をへだてて上川支庁管内の音威子府村と中川町、留萌支庁管内の幌延町と境している町です。

明治30年頃、頓別川の支流「ウソタン川(現浜頓別町)」の上流に豊富な砂金が発見され、この頓別川一体に砂金採取に入り込む者が急増しました。採取者が順次上流に移るに従い、いよいよ有望となり、その上流に注ぐ「ペイチャン川」にも多数の採取人が入り込み「ウソタン川」流域と合わせその数16,000人を数え、一時は「東洋のクロンダイク」とまで喧伝された。密採者もまた多く「ペイチャン川」流域にはその数5,000人とまで噂され密採時代を現出、明治33年には警部1名、巡査5名を配置し取り締まりに当たった。しかし、両流域ともまもなく産出量が衰えだし明治39年までに大半が下山している。

当時これらの産金は、あるものは頓別川を下り浜頓別に出て浜伝えに枝幸に出るもの、「ペイチャン川」の上流「ポロヌプリ岳」の山麓を縦断して陸路枝幸に出るものと、いずれも枝幸が商いの中心となり盛況を極めた。往復10数日を要して往来していたもようである。

この「ペイチャン川」の砂金採取の場所は現在の兵安の奥地であり、その数も少数であるが「ピラカナイ川」「シウマルネップ」「シュルクオマナイ」「ワッカウェン」「トレロマップ」「一の沢」「間の川」「中の川」等、頓別川の頓別川の支流で採掘が長く続き、あるいは中小の企業の営みも見られ、昭和初期まで続いていた。

今でもわずかながら天然の自然産金が採掘できる。中頓別町観光協会が管轄している「ペーチャン川砂金堀体験場」がそれである。6月中旬から9月末まで営業しており、毎年多数の観光客で賑わう。昔は「樋(トイ)流し」方式で多量の砂金を川底から掬うやり方であったようだが、現在は「ゴールドパン」という道具を使い川砂利の中から砂金を見つけだす。道具一式(ゴールドパン・スコップ・長靴)500円で貸し出してくれるので、老若男女問わず、誰でもチャレンジすることができる。現地にはインストラクターもいるのでやりかた等は教えてもらえる。

簡単にやり方を記しておこう。

川底から川砂利をスコップで掬い(できるだけ深く掘った方が良い)ゴールドパンの上に載せたザルの上に乗せ、川水で砂金を洗い流す。この時大きな石は綺麗に洗って川に戻す。ザルをはずすとゴールドパンの中には川砂利が入っているので、それをゆっくり洗い流す。勿論洗い方・川砂利の流し方にはコツがあるので、インストラクターに聞いてみたほうが良い。綺麗に川砂利を流していくと最後には砂鉄と砂金がゴールドパンに残り、砂鉄を洗い流して砂金を採取できる。ゴールドパンの中にキラキラと光る砂金粒を発見した時の貴方の顔はどれだけほころんでいることだろう。ちなみに今年の秋には8ミリ×3ミリほどの小判型の砂金が発見された。これほど大きな砂金は希であるが、自然産金が採取できる。

ほらほら、大量の砂金を手にする貴方の姿を夢見てはどうだろうか。



「ペイチャン川」と「ペーチャン川」は同じ言葉で、現在の地名「兵安(へいあん)」のことである。この「兵安(へいあん)・兵知安(ぺいちゃん)」の名称由来であるが、中頓別市街のところで東から頓別川に入る支流が兵知安川で、その付近が兵知安という字名であったが、字名の方は後に略されて兵安と呼ばれるようになった。

この名の由来ははっきりしないが、この河口の対岸にペンケ・イチャン(川上の・鮭鱒産卵場)という小川があり、江戸時代後期の探検家である、松浦武四郎による図ではそれがヘンケンヘトチャンとかかれている。ペンケ・ペッ・イチャン(penke-pet-ichan 上の・川の・鮭鱒産卵場)の意。それから訛って、兵知安となったものであろうか。


文中の参考資料「1999年 中頓別町勢要覧資料編」


文中の「中頓別町」「ペーチャン川砂金堀体験場」の
問い合わせ先は、
〒098-5595
枝幸郡中頓別町字中頓別182番地
中頓別町役場内 中頓別町観光協会
TEL.01634-6-1111(内線27)
FAX.01634-6-1155

原稿文責:中頓別町役場産業課商工観光係 主任小坂達哉




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