カトマンドゥにはアパート暮らしの人が多い。協会スタッフの中にも沢山いた。よく行ってたのが、タイピストのトゥルーシィさんち。もう何回行ったか数えきれないくらいだ。
最初に誘われたのは、勤務5日目のことだった。夕食はどうしてるか聞かれ、「適当に買ってきて」と答えると同情された。「それじゃ、おなか空くよ。うちへ来て、みんなでネパールのご飯を食べますか?」おお!そりゃ願ってもないお誘い。そんなお誘いを断る理由は何もない。私はニコッと笑い、うんうんと首を大きく縦に振った。
食べ物につられて来たのは、オールド・バネソァ。有名なお寺パシュパティナートの近くだ。「ここだよ〜」と指差された所は、典型的なレンガ造りのアパートだった。門は頑丈な鉄製。窓にも鉄の柵があり、ドアは2重。ほほう。なかなか安全そうだ。中へ入ると早速、家族を紹介された。奥さんのゴーリィ。長男のマーフェス(3歳)、次男のマヘンドラ(9ヶ月)。奥さんは当時23歳。私より若いが、ママらしい雰囲気の人だった。彼女は英語が分からない。だから最初の頃は、通訳してもらうか身振り手振りで話をしていた。「ナマステ」と手を合わせると、笑って「ナマステ」と返してくれた。マヘンドラもゴーリィにせかされて、はにかみながらも「ナマステ」きゃー!可愛い!目がぱっちりしてて、髪は栗色のくるりん毛。ネパールの子供ってみんな目がキラキラしていて可愛いのよ。そんな目でにっこり
されたら、こっちまで嬉しくなっちゃう。こんな子なら欲しいなと思うよ、絶対。
可愛い子供に感動していたら、ゴーリィは「ここに座っていて。私がご飯作るから。」みたいなジェスチャーをした。どうやら、歓迎されているらしい。おかしい。夫が訳の分からない外国人を突然連れ込んだというのに、全然怪しがらない。それどころか、今日はここへ泊まってけば?と聞いてきた。(らしい)「夕食を食べたら帰らなきゃ。」と答えると残念がった。そして彼女はベットの上を片付け、そこに私を座らせると、せっせと夕食を作り始めた。いや〜、よく出来た奥さんだ。
夕食は、ダル(豆のスープ)とバート(ご飯)とタルカリ(野菜のおかず)だった。日本でいうご飯と味噌汁と煮物ってやつね。その日の野菜は、ジャガイモ・玉ねぎ・ブロッコリーだった。唐辛子・ニンニク・生姜・塩で味付けしてあり、さほど辛くない。銀のパレット皿にご飯を山盛りにして、ダルスープとタルカリを混ぜて食べる。行儀が悪いと怒られそうだが、ごちゃ混ぜなのが美味しい。お米は日本のと比べると軽くて食べやすく、どんどん入っていく。かなり山盛りにされていたのに、お皿はあっという間に空に。「お代わりは?」と聞かれたので、おかずをもらった。段々大食らいになっていく気がする。
「あ〜美味しかった。」と満足していると、ドアをノックする音がして、子供が3人入って来た。隣に住んでいるらしい。慣れた感じでベッドに座ると、興味津々な眼差し。「ナマステ」と挨拶すると、ニコニコしながら「ナマステ」と返してきた。やっぱり可愛い笑顔だ。そして、当たり前のようにご飯を一緒に食べ始めた。自分とこでも食べるが、時々ふらっと来るのだそうだ。へえ。仲の良いご近所さんだなと思ったが、別にこれは珍しくないらしい。確かに、あちらこちらへ遊びに行ったが、どこの家でもご近所さんとは仲良しだった。部屋へ招き入れ、お茶を飲んだり、食事をしたり、お喋りをしたり。廊下が裸足なのも、気軽さ倍増なんだろう。フレンドリーやなぁ。寮みたいだ。親戚一同で暮らしていたお宅は分かるけど、たまたまお隣になっただけでしょ。「隣の人は何する人ぞ」の東京とはえらい違いだ。
それだけではないと、トゥルーシィが教えてくれた。「知らない人と店で出会う。隣の席に座る。話をする。盛り上がる。家へ招く。夕食を一緒に食べる。家へ泊める。よくあることだよ。」ええ!?ちょっと待った〜!と、泊める?どうして見ず知らずの人を家へ泊めれるの?それって、バーで知り合って、そのままホテルへ・・に近いぞ。(近くないか)「何かあったら、どうするの?」と聞くと、「悪い奴かどうか、話していればすぐ分かる。」だって。そりゃ、そうかも知れないけどさ。どこかのヒッチハイク番組じゃないんだから。まずは連絡先交換だけでしょと言うと、トゥルーシィは笑った。「君だって、うちへ来たじゃないか。もう、僕達は家族同然さ。なんなら泊まっていくかい?彼女も子供も喜ぶよ。」見ると、ゴーリィも笑っている。うふふ。ちょっと幸せ。
その日から自炊を始めるまで、私は毎日、トゥルーシィの家で食事をご馳走になっていた。ゴーリィはニコニコしながら、「またね。」と言ってくれてたけど、最初はちょっと気が引けていた。だって、トゥルーシィはお金を節約する為に、バイト先で食事をしてるんだよ。なのに、ぽっと出の私が大したお土産も持たずにやって来て、ご飯もおかずも山盛り食べ、なんならお代わりまでしていく。随分な話だと思いませんか?だったら止めりゃいいんだけど、行かないと、なんで?という話になる。理由を考えた。私が日本人だからというのは多少あったが、別に見返りを期待している風でもなかった。「家族も同然」という言葉を思い出す。本当だろうか。本当なら、私はちょっとではなく、かなり幸せ者だ。
入り浸っていたおかげで、隣の子供達とも仲良くなった。男の子はノービン、コービン。女の子はタラ、カマラ、ヴィマラ。タラは長女らしく、お母さんの家事をよく手伝う。穏やかで優しい表情の子。一見おっとりしてそうだったが、実はしっかりした優等生タイプ。それに引きかえノービン。こいつ、仲良くなるとやたら絡んできた。「ねえ、彼氏はいるの?どんな奴?」このマセガキ!将来は、ナンパ氏になること請け合いだ。カマラとヴィマラは、よく2人できゃっきゃっと遊んでいたっけ。日本語に興味あるらしく、いつも「こんにちわ」と出迎え、「さよなら」と見送ってくれていた。コービンは・・ヒョウヒョウとしていて、捕らえ所のないキャラだった。たまに、私の面白ジェスチャーに受けまくってた。末っ子らしい、甘い感じの子だったね。
彼らとは、一緒に遊んだり、食事したり、勉強したり。他愛のない時間だったけど、楽しかったな。自炊を始め、孤児院へ通いだした後も、しょっちゅう意味もなく寄っていた。そうそう、ひとつのベットに、タラ、カマラ、私の3人で無理やり寝た時もあったっけ。あの時は、クスクス笑い合って、なかなか寝つけなかった。良い想い出だ。帰国の日に、最後の食事をしたのもバネソァのアパートだった。そして、私達の最後の挨拶は「またね。」だった。再会したい人はネパールには沢山いるが、一番先に会いたいのは彼らだろう。「家族も同然」という言葉を思い出す度、ちょっぴり切なくなる私だった。
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