2000.1.7号 21:30配信


Home


第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊

「食と生活の記録」より/by 西村淳



「みんな冷凍食品だー」3

卵の調達も無事選定が終わり、おはぎ・柏餅・桜餅・鯛焼き・冷凍ケーキ等のお菓子も片づき、後は魚だけとおおよその目処がついてきたある日、隊員室で暇つぶしに前次隊の越冬報告をめくっていた「福田ドクター」からこんな質問が来た。「昭和基地では越冬後半になるとLL牛乳でも下にクリームみたいのが沈殿して飲めなくなるって書いてあるけどドームではどうなるのかしら?? 私牛乳を飲まないと元気出ないのだけど・・」今まで、常温保存可能なLL牛乳を持っていって、飲めなくなればまあ全脂粉乳でも飲めばいいや位に軽く考えていた私は一瞬言葉に詰まった。ちなみに福田ドクターであるが、年も近いせいか越冬中の愚痴友達で、ストレスが溜まると、人の陰口をたたいて慰め合った仲である。 活字に書くとおねえ言葉で喋っているようだが、顔を一目みればおかまで無いことは一目瞭然!!鹿児島県人特有の太い眉に大きな目、えらの張ったでかい顔に図太い声で話す、顔面人殺しというか鬼瓦権三というかとにかく迫力満点の顔立ちである。

この人との最初の会話は、あの死ぬほど苦しかった乗鞍の冬訓練の時、疲れをいやすべく入浴していた湯船の中であった。やっちゃんが見れば「ガンをとばしたな!」と因縁をつけたくなってしまう様なまなこでギョロリと目をむき、湯船の中に浸かっている様は、まさに映画「大魔人怒る」で湖を割って出現する大魔人そのもの!!初対面のこれから越冬するかもしれない奴に対しての第一声が「いやー私ねー癌かも知れないんですよ」「・・・無言・・困惑・・・無視しよう・・」これが福田ドクターとの最初の会話であった。ちなみにこの大魔人おじさん、ドーム基地で癌になって骨になって帰国するどころかー70℃でジョギングはするわ、ドラム缶転がしをー75℃でするわ、元気なこと元気なこと・・・。おまけに「走れ南極大氷原」ではないけれど帰るときに何とクロスカントリースキーで雪上車の前を快調にすっとばした。一瞬轢いてやろうと思ったけれど、雪上車が壊れたら困るので涙を飲んで取り止めた。

話を戻して牛乳の話である。確かに冷蔵庫でLL牛乳を保管しても8ケ月程たつとドロドロのクリームみたいのがパックの底に沈殿して飲めた物ではなかった。30次隊の頃は牛乳を毎日飲まなくても死ぬ人はいなかったのであまり大きな問題にもならなかったが・・・「いっそ冷凍してやろか・・・・」小学校時代をー30℃まで気温が下がる日本でも有数の低温地帯「名寄市」で過ごした経験で、凍った牛乳は
おなじみである。宅配されてくる一合瓶は寒さで紙のキャップが持ち上がり、石炭ストーブの横か、電気冷蔵庫に入れて解凍して飲んでいた事を思い出した。クリームが上の方にわずかに付着していたがこれといった問題もなく飲んでいたので、これで行ってみようと決めかけたが、なにせ行くところは南極である。もし、仮に分離状態が戻らず、飲料不可なんて事になっら、例の大魔人ドクター怒りのあまり、体を巨大化させ国家財産のドーム基地を破壊しかねないので、とてもそんな博打はおそろしくてうてないので、そっと「某メジャー乳業メーカーお客様相談室」に電話した。

「あのーちょっと聞きますけどLL牛乳って冷凍しても大丈夫なんでしょうか?」帰ってきた答えは「LL牛乳は常温で保存し、長持ちすることを前提に販売している商品ですので冷凍保存となると前例がございません。」「はい!わかりました」と返事をしたくなる程の当たり前の答えが返ってきた。「すべて凍ってしまう所に大量に持っていくんですけれど・・・・」この時点でこれはいたずらと判断されたのか応対してくれている女性の声が硬化した。「お客様、製品の保存法等はパックの横に書いてあるので、その通りに使用して下さい」
ガチャン!!・・・・である。もう一つの大メーカーに今度は名前を言わなかったからだめだったのかと、南極観測隊と名乗って電話したが、こちらも「後日返事を差し上げます。」といくらかは丁寧な対応であったが、その後日はついに訪れなかった。 南極観測隊と自称してすぐに信じてくれるのは「紅白歌合戦」の電報だけな様だ。

しかしここで引き下がってはと、あちこち電話をかけまくり、その内「大日本冷凍牛乳研究所」なんて所に突き当たり、見事解決法を見いだしたと書きたい所だが実体は、電話してもけんもほろろに扱われ結構精神的に引いてしまったせいか、「この問題は先送り!!」と生来のいやな事は避けて通る性格が台頭し、午後は頭の隅っこに引っかかっていたが、夜になって居酒屋で冷たいビールを一口飲んだ途端、きれいさっぱり忘れてしまった。これは削除!と書きたいほど頭の中から姿を消し、思い出したのはなんと数ヶ月後物資搭載作業をしている最中の「しらせ」艦内であった。日本通運の積み込み責任者の人から「牛乳冷凍ってなっているけれど本当にしちゃっていいんですかー??」と聞かれ「えー!! あーそうだった!?!」全部で1000トンの物資の中のほんの数百kgである。 口ごもっている内に50ケース、300リットルの牛乳はあっという間に「しらせ 冷凍庫」に消えていった。結果は? ビンゴだったのです。10ヶ月たっても大豆粒程のクリームがちょっと出来たものの、解凍すると見事にフレッシュミルクに戻ってくれました。同時期に搭載した昭和基地の同じ物は補給隊が持ってきてくれた物を飲もうとしたが、ドロドロの分離した気持ち悪い物が沈殿していて、とても飲めた物ではなかった。「へー西村さんって冷凍品にかけては日本のオーソリテイーなんだネー」と福田ドクターも尊敬の?眼差しを送ってくれたと言うことで。ジャンジャン!


1999年12月31日 巡視船「そらち」調理室
年忘れ船内大宴会「何でもごちゃ盛り弁当」



あなたのご意見やご感想を掲示板に書き込んでください。

indexbacknext掲示板


Home
(C) 1999 Webnews
ご意見・ご感想・お問い合わせは webmaster@webnews.gr.jp まで。