カレンダーの日付も早2月に入った。
遠く離れた昭和基地では2月1日が越冬交代の日である。交代といってもただ単純に勤務が交代するわけではなく、建物から「BAR」の運営までなにからなにまで37次隊から38次隊に変わってしまう。寝る所も、「自衛隊」が管理している正式名「夏期宿舎」 別名「レイクサイドホテ
ル」実際「飯場のかいこ棚ベッド」からロッカー・机・ベッド付きの個室に移動する。これだけでもすごいのに、今回は新しい2階建て・床暖房の隊員宿舎を建てるそうで、個室とは言っても、周囲をベニヤ板の壁に囲まれ、机も手製のこれまたベニヤ板デスクのわが「ドーム基地」とはえらい違いである。
ここの居室のドアはアコーデオンドアで、私の入っていた奥の部屋はたまたま機密度が高かったらしく、寝ている途中で息苦しくなって目覚めることが多かった。畳数にして団地サイズの2畳間位の広さなのであるが、高地×薄い酸素×パネル住宅の機密度の高さ× 奥の部屋で酸素がみんなに吸われる? 相乗効果のせいか夜中に突然「プハー」というかんじで飛び起きる日が続きだした。何時間寝ていると酸素がなくなるのかは試してみる勇気も根気もないのでやめたが、せっかくここまでやってきて、部屋の中で酸欠で窒息死なんてのもしゃれにもならないので、以後食堂の床でごろ寝のパターンに落ち着いた。
ドーム基地では「越冬交代」と言っても37次隊はとっくに出発してしまった後で残っているのは38次隊だけであり、必然的にこれといった行事もなく・・では寂しいので夜はちょっと豪勢にステーキ&ローストビーフと張り込んだ。外に出てまだ野ざらし状態の食糧橇の中を引っかき回し、日本から大事に大事に運んできた、肉販売では国内でも超一流、宮内庁御用達の「中央畜産」から仕入れてきた「米沢牛」の塊10kg余りをドーンと使うことにした。解凍して、掃除をすると6〜7kgに減ってしまうがそれでもかのブランド品「米沢牛」一人約1kgである。日本で食えば目の玉の飛び出るどころか、驚愕の余り体中の穴という穴が開いてしまってケツの穴から腸が下に落ちてしまう位の法外な料金を請求される超高級肉を、ごっそりと出したのに、隊員諸氏感動しないのである。もちろん一口含んだ途端潤んだ目で虚空をにらみ「あー自分の人生はこの一瞬のために存在したー!」てな言葉を期待したわけではないが(ちょっとは思ってた。)「なんだか柔らかすぎてお菓子みたいだネー。 私の好みから言えばもう少し歯ごたえのあるやつがいいんだけど。これ体に悪いだろーね運動もしてないんだろーし。」と死んだ牛の健康状態まで気にするドクター。
「人間には今まで食してきた環境によってうまさの上限てあると思うんですよ。この肉は本当はすごくうまいんでしょーね。私もうまいと思うのだけど・・・中にはただ柔らかいだけと思う人もブツブツブツ・・」と平沢隊員。「ばくばくばく(咀嚼音)・・・ばくばくばく・・・・肉だ、これ・・ばくばくばく」・・・・極地研の野人本山隊員。「・・・・・・・柔らかい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」とコンマ一つに15秒かけて金戸基地長。その日の「当直日誌」を 見直して見ると、メニュー表の所には
朝食 パン 御飯 味噌汁 塩鮭焼き さわら焼き
昼食 カレー ワカメスープ
夕食 ステーキとローストビーフ ガーリックライス
とそっけない記入。当直者は講釈を語らせたら日本一の平沢隊員だけに決して表現力がプアーなわけではない。まあステーキに対しての隊員諸氏の公表は
・材料 ◎
・ 味 初めての食感=未知との遭遇
・感想 「こんな肉もあったのか」
・点数 赤点ではないけれど食ったことがないので?
「この貧乏人どもめー!!! 安物ばかり食ってきやがって」とは決して思わなかったが(少しは思った)ここでめげては「世界最高の極地の料理人」と自分だけで思っている身としてはあまりにもなさけない。リベンジを心に誓って最初の「超高級肉食べ放題の夕べ」は静かに幕をとじた。
米沢牛ローストビーフ 1人前
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
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