2月も半ばを過ぎたある日曜日、ソフトボール大会が開かれた。
天候 快晴、風力 ほぼ0 ただし気温はー40℃
ソフトボールがプレイされる環境では、おそらく世界最低気温だろう。総員9名しかいないので、4名ずつに別れ一人は審判。ベースは3角ベース。3回を最終回の設定でプレイボール!
羽毛服に防寒ミトン、D靴と言う呼称の低温用防寒ブーツという重武装でソフトボールをしたらどうなるか? 体に布団を巻き付け、足には重石入りの下駄をはき、両手は軍手の上にオーブンミトンを重ねると大体近い形状になる。ここまでハンデを背負えば過去の球技体験のあるなしはまったく関係なしで、イチローや高橋がここにきても、ただの雪だるまとなりはてる。
ゴロはひたすら上から押さえるだけで、フライをダイレクトで捕球するのは全く不可能。皮のグローブは「奈良の大仏さん」の手のようにカチカチになり、ボールもたちまち凍り付いて鋼鉄の固まりとなり、金属バットは金属の剛柔性がなくなるせいか球が当たると「キーン!」という金属音ではなく「バキッ!!」と鈍い音がして、へこむ・折れる・ひびが入るの 三者 どれかとなる。
実はドーム越冬が決定した際、「プレイされた中で世界で一番寒いテニスコート」を目指し、ラケット・ボール・ネット等を持ち込み、ブルドーザーで地ならしをしてテニスコートを造成し短パン・ポロシャツでフルセットをプレイし、ギネスブックに申請しようと密かにもくろんでいたが、球が全く弾まない自然環境とこれまた半袖のポロシャツではあっという間に低温症であの世行きの現実に直面し、涙を飲んであきらめた。
とにかくソフトボールである。
なんとか3回の裏まで進んだが、甲子園で延長戦を50回戦った位疲れ果て、暖かい基地の中に逃げ込んだ。スポーツをすると普通はさわやかな汗をかくのだが、ここでは汗らしいものは瞬時に凍り付き、肺の中は酸欠になり例の「ヒーヒーゼイゼイ」状態になる。普通はこれに懲りて二度と屋外スポーツはやらないところであるが、そこは表向き「選びぬかれた日本南極観測隊ドーム特殊部隊」正体 「懲りない驚異のアホ親父集団」の我がドーム越冬隊である。越冬中期には、ー60℃ 風速10メートルでのラグビーの試合や ー70℃でなんとジョギングを始める隊員も出現した。夕食は「平沢隊員」による お座敷天ぷら。「今日は食事当番だけど作るのがめんどくさいので材料は適当に用意するから勝手に揚げて食べてちょーだい 天ぷら」で盛り上がったのか、疲れたのかよくわからない休日が締めくくられた。
ソフトボール大会
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
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