設営の年代をあげると30歳台〜50歳台のばりばりの働き盛りの年代で大部分構成されている設営部門のメンバーはイコール一家の大黒柱でもある人達が多い。南極が好きで、行きたくて、社名や出向命令抜きで参加した人達である。ボランティア花盛りの昨今であるが、設営隊員達は、まさに究極のボランテイアである。少ない予算をやりくりして、世界で唯一シビリアンが越冬している「日本南極観測隊」を営々と運営している、文部省や極地研を批判するわけでは毛頭ないが、今回の38次隊の参加に当たって、カチンと気にさわった事が2つあった。今風に言えばチョーむかついた事件である。ばらしちゃおう・・・・・・。
一つは参加前の冬訓練、乗鞍岳の山荘で食事前の談話室での出来事である。同室者は、初期の「宗谷」で観測隊に参加した大先輩「村越元隊員」。文部省のキャリアと思われる眼鏡をかけた、細面のお兄ちゃん、となぜか私・・・。
村越氏「昔は越冬隊に参加すると家建てられた位もらった記憶があるけど今は極地観測手当どれくらいなの?」
私 「詳しくは知らないけど、独身者は給料が残るくらいで家なんて・・。」
文部省「手当が安いと言われるけれど、今の額で適正だと思います。」
村越氏「それで55度線を越えるといくらになるの?」
文部省「一ヶ月♂♀℃$∞円です。」
村越氏「へー単価あんまり変わっていないんだ?!?」
・・・・1958年以来である・・・・
文部省「安いと思われるかも知れませんが手当を格段に上げるに相当する理由が今の所見られません。」聞いていて段々むかむかしてきた。「受験戦争を勝ち抜いて一流大学に入学しそこでも一生懸命勉強してこれ又上級職に合格し、彼女はいないけどその内、省の誰かの娘さんとお見合いさせてもらえるし、友達もいないけどそれも今の所必要ないし、スポーツもしたこと無いけれど、必要があればゴルフをやれば十分だろうし、それよりなんでこんなむさ苦しい男達とくそ寒い所に出張しなければならないのだろう?あー東京に帰りたい」みえみえの、このじっとり系若者は、逢ったことはないけれど大蔵省主計局長の様にとうとうとまくし立てた。一瞬このまま日通に頼んで木枠梱包してもらい、ドーム基地のー70℃の外に3ヶ月程放置して、あくぬきでもしてやろうと思ったが、今回私は「海上保安庁」から俸給が支給されることを思い出し、正義の鉄槌を落とすことはやめにした。
写真 「凍結床の氷割り」
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
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