2000.11.5号 08:00配信


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第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊
「食と生活の記録」より/by 西村淳


「大晦日」

1997年12月31日大晦日。日本だと正月休暇も真っ盛りで、どことなく活気のある一年の最後の日だが、ドームでは御用納めも関係なく、いろいろの作業が同時進行していた。

まず筆頭に来るのが「基地撤収準備」だった。
先発隊と後発隊2隊に分かれ、ドームを後にすることになっていた。先発隊の出発予定日まで、後2週間余り「しらせ」がケープタウンから帰ってくるのに合わせて、雪氷部門の大事な資産のコアを迅速に輸送しなければならない。その他、
・基地内、及び私物のの整理
・基地に残していく物品、消耗品の調査及びリスト作り(食糧部門は早くからこれに取りかかり、5〜6名の人数が6ヶ月は暮らしていける食糧がある事がわかっていた。)
・旅行に備えての橇作り作業(これは原則として旅行隊が自分で作らなければならない
4名で30台余りの橇編成、点検作業を進めたが、これが大変な重労働でしばしば夕食後も残業となった。 終わったときは0:00を回っていることも日常茶飯事だったが帰国準備と言うこともあり、アドレナリンががんがん体内に排出されたのか体のきつさはあったものの精神的な疲れはほとんどなかった。)
盛りだくさんの作業が時間との競争で行われていった。ほんとに人手不足で「昭和基地」のように周囲にあざらしやペンギンでもいれば、ロープをつけて荷役人夫として、まじに使いたかったがここにはウイルスもいないのでかなわぬ夢となった。

ともかく今日は大晦日。
昼から「ちょっと悪いなあー」と思いながら肉体労働から抜け、基地内に戻ってきた。誰もいないはずの午後のドーム基地内・・。目の前をなぜか湯上がりの爽やかな顔で「佐藤隊員」が横切っていった。
私「何してるの? みんな外で仕事してるのに・・・」
佐藤「いやー今日は体の調子が悪くて、車両は午後からだし、ちょっとよくなってきたので風呂に入ったら体調が戻るかと○×▲□」
越冬隊言葉で「自主休業」公務員用語で「職場放棄」。

その場は時間に追われていたので、食堂に戻り大晦日の用意に取りかかった。時間をかける煮物等は、この時期余裕がなかったので短時間で出来る火の料理「中華」で年末・年始を過ごしていただくことにした。そして残業後20:00頃から始まった「大晦日スペシャル」は

・前菜盛り合わせ
・春雨と平目の清湯スープ
・スペアリブの蒸しもの
・ロブスターの2色のソース
・鶏の唐揚げ
・鴨と葱の中華ピラフ
・肉まん、中華ちまき、
・海老シュウマイ
・春巻き
・杏仁豆腐
・林隊員特製、手垢一杯混入手打ち蕎麦

で一年の「ご苦労様会」が行われた。川村隊員が廃棄ダクトをはずし、金属バットを天井からぶら下げて「臨時除夜の鐘」を廊下に作ったが、音色は「ゴン・・」と鈍い音がしただけだった。

明日の作業予定等を話しているときに一つ忘れていたことを思い出した。佐藤隊員が「えー明日は早朝から・・・」と例によって労働組合決起集会演説を始めようとした時、頭の中でダービー中継みたいなファンファーレが鳴り響いた。「佐藤てめえ、思い出したちょっと来ーい」テーブルを乗り越え、耳をつかみ廊下を
経由してBARに引っ張り込んだ。この間2秒!!!普通ならここでボコボコ行くのだろうけれど大事な右手を傷つけても困るし、親からもらった天性の地声で、静かに? 説教開始タイムとなった。何を喋ったのかはもう記憶にないが、他の隊員達もすぐ 傷害事件発生防止とばかり駆けつけてきたのは覚えている。なぜかすぐ引き上げていったのも覚えているのできわめて 紳士的に、冷静に喋っていたのだろう・・・・。ただ当の佐藤隊員。2〜3日して本当に熱を出して寝込んだので、さぞ恐ろしい思いをしたのかと思うとちょっぴり心が痛んだ。

大晦日の食卓


除夜の鐘?


注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。



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