1998年1月17日。いよいよ今日は一年間過ごしてきた
「ドーム基地」とお別れの日がやってきた。前の日は多分寝られないだろうと思っていたが、夕食後コテッと爆睡してしまった。06:00に目が覚めて食堂に行くとドクターと、39次の報道オブザーバー毎日新聞の「斉藤 翁氏」が抹茶を飲んでいた。早速ご相伴になりいろいろな世間話を・・。福田ドクター「いやー西村さんいよいよ旅立ちだネ。 いやこの一年いろんな事があったけどETC」正直私はまだこの段階で越冬が終わったとは露程も考えていなかった。ナビゲーターで下界に降りるパイロットの役を仰せつかっていたから・・・。「ほんとに着けるのだろうか???」とまじめに考えていた。「ほれドック早く準備しないとおいていくよほんとにもー最後までぶつぶつぶつ」私の小言も慣れたもので、このおじさんひたすら自分の世界から出てこなかった。昼出発の予定が、なぜか15:30分までかかりそれでもようやく出発準備が整った。
記念写真をみんなで撮影し、いよいよ出発時間が来た。先頭車の私がクラクションを鳴らし、アクセルペダルをぐっと踏んだ。力強い鼓動とともにいよいよ帰国への第一歩が始まった。金戸さんが手を振っている。本山隊員が走りながら何か叫んでいる。林隊員が手を振りながら泣いている。佐藤隊員も泣いている。助手席のドクターが・・・・泣いている。私は・・うれしかった。 ほんとにうれしかった。
一生懸命頑張ってきたこの一年、後悔なんかなにもなかった。ほんとに嬉しいとき、泣く人と、笑う人に別れると言うが、私は笑っていた。やがて「ドーム基地」は小さくなりあっけなく視界から消えていった。ドームから20km程離れた地点でキャンプと言うことになり、用意してきた「特製出発祝い折り詰め弁当」をみんなでつつき、早寝をしましょうと外に用を足しに出た時、はるか地平線の彼方に煙が一条立ち上っているのが見えた。それが私たちを一年間守ってくれた「ドームふじ観測拠点」だと分かるのにちょっと時間を要したが、地平線の彼方に建っている小さな小さな建物が「一年間ご苦労様、私はずっとここにいるから又いつでもいらっしゃい」と語りかけ、そして微笑んでくれているようで急に沸き出してきた涙を止めることが出来なかった。
南極の大雪原で確かにあの瞬間私達は別れの言葉を交わしあっていた。
さょうなら そしてありがとう
「大雪原の小さな家」。
ドーム基地
こんな風に見えた
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
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