2001.3.18号 07:00配信
ストライキがあり、歩くことしか僕等の移動手段はなかった。およそ7Hの散歩を楽しんだ僕等、ガイド役の友人シバも疲れていた。広いカトマンドゥの街を徒歩で散策、ストライキの煽りは僕等にも及んでいる。その後シバは本業である仕事へ、僕等はホテルへと戻った。12月初め、僕はそれまであった髪の毛をすっぱりと切り、坊主にした。一応それまでのポリシーであった髪型をやめ、丸坊主に、特に心境の変化などはなかったが、ただ何となくこれまでの自分を一新したかった。少し伸びてきた僕の坊主頭は、旅に適していた。埃の中を歩いてもすぐに洗うことができる。洗ってもすぐに乾くこともメリットの一つだ。 ホテルに戻った僕等はその日一日の行程を思い浮かべ、想い想いを手帳に記す。一緒に旅をしている本間くんは今日一日、頭にタオルを巻いて街を歩いた。どうやら髪の毛が邪魔のようだ。異国のこの地では電圧やコンセントの種類が違うため、日本のドライヤーなどは仕えない。無論、僕等はそんなものを持ってきていない。 彼は帽子を買いに行くと、一人でホテルを出ようとした。しかし、ガイド役のシバがいない今、彼のガイドは僕の役目。紋別を出る前、彼のお母さんに「生きて帰ってきてね。お願いします」と言われたその言葉を思い出す。「彼の身に何かあったら大変」と僕は課せられた使命を果たすべく、買い物に同行することにした。ちょっと大げさではあるが。 僕はこれまでもこの街に一人でいることが多く、買い物をする事もできた。まず、ホテルの従業員に買いたい品物の相場を聞く。ネパールではネパール人料金とツーリスト料金との間に大きな違いがある。帽子一つの相場はおよそ150〜200ルピーだと聞き、ホテルのすぐそばにある帽子屋へと買い物に出る。本間くんが気に入ったのはオレンヂ色のキャップ。「カティ・パルチャ?(いくらですか)」と僕が聞く。「375ルピー!」それが、この店主の最初の言い値。そこからは店主と僕との値段交渉が始まる。値切り合戦の末、結局本間くんの帽子は250ルピーで買うことができた。それだけでも125ルピーの値下げ。やはり最初の言い値は暴利な値。ネパールの多くの店では、こういった値切り合戦が必要である。最初の言い値の半額以上まで値が下がることも少なくない。 その後二人で夕食を済ませに歩く。ストライキのこの日、開いているのはツーリスト向けの超豪華なレストランのみ、僕等はキルロイズというレストランに入った。そこはレストランの中に滝が流れ、サービスも言うこと無しの豪華レストラン。メニューの値段も驚くほど高い。しかし、歩くことが移動手段の今、腹が減っては動くこともできない。帽子を買ったときに浮いたお金もあることだ、ここで夕食を摂ることにした。 僕は野菜スープにパン、ビールにブランデー、デザートにレモンタルトまで頼んでしまった。本間くんはネパール料理のダルバートにビール、バニラアイスがデザート。二人合わせて1600ルピー、日本円にして役2500円。ちょっと高めだが、味は良いしサービス満点。英語ができない僕等でも、この街で買い物もできたしレストランにも入れる。このことはちょっとした自信へとつながっていたのだろうか、これを切欠に翌日からの買い物や食事もスムーズにできるようになった。 |