2001.3.25号 07:00配信


マーブーガル

(紋別市社会福祉協議会:篠原辰二)


 マーブーガルはランタン基金の会が複雑な問題を抱えていた孤児のために作った施設で96年に建てられた。白壁の2階建ての建物。3階には屋上があり、ランタン基金の会の事務所までそこにはある。部屋は全部で8室。その他に台所があり、トイレ、物置、鶏小屋がある。周りの建物やこの村の景観からしても、ちょっと浮いた存在の建物で、そこを通るツーリスト達でさえ、その存在を知っているほどだ。

4年前の当時、このマーブーガルには12人の孤児達が住んでいた。ほとんどの子どもが、父親を行方不明にし、母親からは捨てられた経歴を持つ。ネパールでは、収入を得るような仕事が村々にはないため、男達の多くは街へ出稼ぎに行く。そしてその地で新しい妻子を設けることも少なくない。そうして、帰ってこない亭主を持つ母親は自分の身を守るべく、子どもを置いて他の男性と結婚をする。ネパールの村では今も尚一夫多妻制が許される。この国で男は神に誓い存在とされている。そのため女性は亭主を持たなくては生きてゆけないのだ。だから、亭主の帰ってこない母親は別の男性と結婚するのだ。その時には子どもを連れて行くことは許されない。男は仕事もせずに、朝から晩まで遊びほうけ、女は家事から畑仕事まで難なくこなすのに、男尊女卑も甚だしい。しかし、それがこの国の現実だ。

マーブーガルには家族を山賊に襲われ、目の前で殺されたという兄弟もいた。彼等はいつも無表情で、何かにおびえている様子だった。夜になると泣き出し、寝小便はいつになっても治らない。事件がトラウマとなってこの兄弟にはまとわりついていた。

4年前、僕が2ヶ月間この地に滞在した時、そのほとんどの時間をこのマーブーガルで過ごした。当初、この施設が出来立てであったため、施設運営や備品の整備などが目的であったが、僕はそれよりも子ども達の精神的サポートとなによりもコミュニケーションを取ることを優先させた。毎日のように子ども達と話し、遊び、そうして関係を深めていった。寝小便の兄弟も徐々に治っても来ていた。親がいないと言うことで、ここの子ども達は過保護に育っていた。何から何まで寮父母や賄いさんがしてくれる楽な生活を送っていた。周りの子ども達は生きることに必死で、まだ6〜7歳の子どもでももっと小さな子どもの子守や家事をしている。孤児施設に入って、生きることの力を失うことが何よりも恐ろしいことだ。僕は子ども達と畑の石を拾い、トウキビや大根を植え、女の子には料理や洗濯などの家事を手伝うように心がけさせ、男の子には掃除や買い物、寮父母の手伝いをするように促した。

1年1年と子ども達の成長は早い。今回、僕は子ども達のその成長ぶりを見て驚いた。背が伸び、大人びてきたのは言うまでもないが、それよりも、4年前に子ども達と行ってきた畑の維持や掃除はすっかりと行き届いており、女の子は料理や洗濯も手伝っている。このマーブーガルを孤児施設ではなく、自分たちの家。そしてその家での役割を一人ひとりが担うようにまでなった。マーブーガルはネパール語で「お父さんお母さんの家」と言う意味。きっとここの子ども達も父となり母となるのだろう。そんな子ども達の未来を思い浮かべながら子ども達と話をするのであった。



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