2001.3.26号 07:00配信
ベトラワティ村に着き、まず最初に僕等がしたことは、大きく膨れたザックからお土産を取り出すこと。遥か6000kmの彼方に80kgものお土産を、自分たちの足と力で運んできた。2年前、ベトラワティ村の大人達は、子ども達の学習や大人の識字率を上げるために、共同で図書館を作った。図書館と言っても、周りの民家と何ら変わらない建物。当時、建てられたばかりのその図書館には学校で活用している教科書やネパール語で書かれた本が少しと、ツーリスト達が置いていった英語の本がいくつかあっただけであった。しかし、それでも識字のできる大人子どもは、その図書館を利用し本の貸し出しを受けていた。その状況を見た僕等は、再びベトラワティ村に訪れるときには、この図書館へたくさんの本をお土産に持ってこようと村の人々に誓った。 約束を果たすために、旅の準備を始めた頃から、紋別の地元新聞社や北海道新聞などに記事の掲載を依頼し、広く本を募った。和英辞典、英語の絵本などなど、日本語で書かれた本ではなく、英語で書かれた本であれば、ベトラワティ村では役に立つ。おおよそ半月の間集められた本は、全部で150kg余り。中には日本語の本もあったが、それらは持っていってもしょうがない。相手はネパール人だ。集められた本を全てベトラワティ村へ持ち込むのは困難だ。今回の渡航は僕と本間くんの二人、背負える荷物にも限界がある。本を箱に詰め込み、ベトラワティ村まで送ることも考えられたが、僕等は目の見える支援をしたかったし、そのために多額のあかねを使った支援はしたくはなかった。結局、本間くんが28kg、僕が38kgを背負った。その他の自分たちの荷物などを含めると二人合わせて80kgを超える荷物だ。お土産の本は早速配られた。2年越しの約束を果たすために持ち込んだお土産だが、百科事典や高校生が使えそうな教材もあったため、図書館だけではなく、村の学校にもお土産を配分した。 お土産はもう一つある。僕等がベトラワティ村で寝食をする場所は、孤児施設のマーブーガル。ここの子ども達にもお土産を持ってきた。品物は折り紙。ランタン基金の会の会員で、99年にこの地を訪れた鈴木さんは、滞在中、ここの子ども達に折り紙を教えた。僕が折り紙のお土産を一人ひとり手渡すと、すぐに自分たちの部屋で折り紙を折り始めた。カメラ、チューリップ、風船など、器用に折る。一番小さなビサロくんは、作ったカメラで、仕切に僕等を写す。日本の伝統、折り紙をネパールの子ども達が楽しげに折る。そんな姿がおもしろい。お土産もこの地への支援活動と同様に、多額のお金や物品を費やすやり方はタブーだ。4年前、お土産にと鉛筆やノートなどの文具を持っていったことがある。しかし、全ての子どもには行き届かないし、安直にモノを与えてしまうのもいけないことだ。一つ一つのモノの大切さやそれを買うための努力、そういった価値観を、僕等がモノを流通させ与えることで、引き裂くのは簡単だ。しかし、大切なのは今、何が必要で、そのためにこの地の人々がどのように取り組んでいるのか、そして、僕等がなにをバックアップできるのかの見極めである。簡単に「かわいそう」とか「貧しい」とか、表現化させるのは考え物だ。 |