2001.3.29号 07:00配信
僕等は村を訪れた時と同じように、3時間の道のりをカトマンドゥへと向かった。この日は雲行きも穏やかで、標高2200mにあるカカニの丘からは「ランタンリルン」がよく見えた。7000m級の山々と渓谷、その頂は白く氷河に覆われている。2日ぶりのカトマンドゥにはすっかりと賑やかさが戻っていた。数日前のストライキがウソのような話しだ。行き交う人々、それを蹴散らし進み行く車、大量の排気ガスと土埃。この賑やかさはやがて、この盆地をスモッグで覆い尽くす。2年前、空気の悪さで喉を痛めたことを思い出し、関西空港で買っておいたのど飴をあわてて口に放り込む。ベトラワティ村を後にした僕等は途中、デクレ村に立ち寄り、そこでもランタン基金の会が支援している学校建設現場を視察してきた。休み時間、子ども達は裸足でサッカーボールを蹴り、遊んでいる。痛くはないのか、不思議に思う。本間くんはネパールの村々を訪れ、裸足で歩く子ども達を見てショックを受けたというが、ここでも靴を履いている子どもは少ない。 僕等が旅の準備をしていた頃、インターネットのあるホームページ上で一人の女性に出会った。彼女もまたネパールへの支援活動を展開している一人。僕はイーメールで彼女と会話を続け、今回の旅の話しもした。彼女は自分がネパールへ渡航したときに行って来たNAWBといわれる団体を訪ねるといいとアドバイスをしてくれた。NAWB(Nepal Association for the Welfare of the Blind :ネパール盲人福祉協会)仕事柄だろうか興味のあった僕はすぐに彼女に連絡し、そこを訪ねることにした。1月5日、午後3時。僕等は約束の時間に少し遅れNAWBに着いた。実は4年前、僕が初めてネパールに来たときに1度訪れている。NAWBは世界7ヶ国のNGO団体からの支援を受け、運営されている組織で、ネパールの視力障害者の総合的な役割を担っているところだ。ここには1年前に赴任したという日本の海外青年協力隊員の竹内さんが仕事をしていた。彼は帯広の盲学校を退職したのち、ボランティア関係の仕事に従事し、海外青年協力隊員に応募した。残り10ヶ月となった赴任期間をネパールの人々と共に、障害者問題や教育問題を考えている。ネパールには約20万人の視力障害者がいるという。そのほとんどの人は栄養障害が原因らしいが…。ここではそう言った視力障害者のために点字教科書を作成したり歩行訓練なども実施している。近年では地域ケアといわれる、障害者を地域ぐるみで支えて行くための活動「CBR(community-Based Rehabilitation)」 の支援活動も行っている。ネパールでは障害者や高齢者はおろか、子どもの教育施策も行き届いていない現状の中で、こうした地道な活動を展開している竹内さん等の活動に心を打たれる。竹内さんは「自分たちのやっていることが、50年、100年の時間を経て、きっと障害者にとっても住みよい地域、国作りが出来て来るであろう。そのためには、今の地道な活動こそが大切である」と話す。こうした話を聞いていると、ODAやネパールで展開するNGO団体がお金だけの支援をしていることに疑問は感じられるが、やはり大切なのは人と知識であると、改めて実感した。 |