まずは高松で有名な栗林公園へ行った。ここはかつて栗林があったそうだが、その片鱗も見られないほど整備され美しい公園となっている。松が美しい。これでもか、これでもかと美しい眺めを満喫した。これは写真でお届けしたい。
次に訪れたのは「四国村」と言って、四国全土の山間部の古い建物(小屋とも言う)を移動し保存している野外博物館である。わたしはこういうのがとてもとても好きで、おもしろくて走り回って見歩いたので、デジカメもポケットにしまい込んだほど。昔の人々の暮らしと息吹きを感じ、夢中になった。どれも簡素な住まいである。平家の落人の隠れ家もある。コウゾやフスから紙漉きをした行程も分かった。さとうきびを牛の力を借りて搾り取ったものを煮詰めて砂糖も作った。でもそれもすべて献上品であったので、せめて正月にはと餅の中に隠して雑煮をしたので、四国のお雑煮の餅は餡餅なのだと言う。四国の人は我慢強く、そして明るいのだ。そういう庶民の暮らしはとても気を惹かれるものである。
その次に行った屋島は源平屋島の合戦があったところだ。こういう歴史上の場所に立つことができるのも由緒ある土地の特権だろう。わたしは歴史はあまり好きではないが、この場所に昔の人間が立って何を思い生きていたかを思いばかるのはおもしろい。帰ったら歴史物を少し読もうと決心した。
今度は西へと走り香川から愛媛県へ。2時間も車で飛ばせば他県に入り、ナンバープレートの県名も変わる。途中、山一面のミカン畑や柿の木を見た。着いたのは四国で一番大きな町、松山。夏目漱石「坊ちゃん」の舞台となったところ。正岡子規の故郷でもある。ここでは何でも「坊ちゃん」であり、「坊ちゃん球場」ではオールスターのゲームも行われた。それは松山出身の正岡子規が、英語を日本語の「野球」に訳した本人であるので、何と野球の殿堂入りを果たしたそのつながりでである。観光用の電車が「坊ちゃん電車」で土産物は「坊ちゃん団子」。有名な温泉も「坊ちゃん温泉」、あれ、違ったかな?
伊予絣の会館では織りの実演もあり、藍染めも実際にや?いて、わたしには大変興味深いところであるが、なんせ同行者が・・愚痴は言うまい、素通りで終わってしまった、実に残念!
最後は道後温泉であった。なんともひなびた温泉地。ホテルも濫立しているが、「温泉本館」というのがあり、どのホテルからも浴衣がけで出かけられる。さっそく足を向けた、勿論浴衣がけに草履履き。おまけに“湯かご”というのを借りてそこにタオルを入れていく。これ、とても気に入った!そして入浴料が何と300円!古い古いお風呂である。こわれかかった脱衣の棚。桶も椅子ももちろん木製。なぜか入っている人も年配者が多く、おそらく近所のおばあちゃん達の会話がまたいい。「わたしゃお湯に来れなくなるとつまらんね。」「わたしゃ、100までは生きられんかもしれん。」そうか。みなさん100まで生きるおつもりなのだ。ご立派です、きっと長生きしますよ。
あとから聞いた話しだが、かつての道後のその当時の村長さんがこの温泉を建てた時、当時のお金で13万円をかけたそうな。当時の13万は今の10億に相当する金額で、みんなの反対に合いながら独断と偏見で、どうせ建てるなら100年は持つものをと言ったらしい。その温泉、今年で108年だそうで、今でも町立温泉であるがために300円の入湯料で済んでいるとか。当時は鼻持ちならぬワンマン村長であったかもしれなが、先見の明があったということになる。
最後の夜は大満足のうちにふけた。が、古い旅館にひとり寝るのはいつもちょっと恐い。さ、早く寝付かなければ・・・Zzzz・・・。
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