2000.1.5号 13:30配信


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北見市役所文芸部発行「青インク」より

税金取り

田丸  誠


もう二十年ほど前のことです。何の説明も内示も無しに、人事異動の辞令一枚で、納税課の徴税吏員、いわゆる「税金取り」になる事を命じられました。そこで四年間過ごした経験は、私が行政のあり方を考える上で、指針になる貴重なものになっています。
 万葉集にある山上憶良が書いた『貧窮問答歌』(七三一年頃作?)には、里長が「税金取り」に、食べる物さえない農民の「寝屋処」まで押しかけてくる様が記録されていますが、古代から「税金取り」は、人に嫌われる、汚れた「仕事」とされてきました。
 しかし、昔から行政組織が主な運営財源を税金で賄っていることは言うまでもないことで、その徴収は公務員である誰かがやらなければならない仕事なのです。
 人に嫌がられる仕事だからと言って、私の勝手で他人に押し付けて、逃げ出すわけには行きません。この異動前には、私は学校建設の補助申請事務をやっていましたので、「建設財源が足りなくなったから、金を取ってこい!」と言う事だ、と自分で納得することにしました。
ご存じのとおり、徴税吏員には調査権もあり、差押など強権の発動もできるのですが、日常での基本的な業務は「自主納税」を市民の皆さんに呼びかけることにあり、督促状を発送して、何の反応もなければ、自宅を訪問したり、電話で接触を図り、事情を聴取し、納税相談し、顛末を記録すると言った地味な作業が中心なのです。(つまり、理論的には市民の皆さん全員が問題なく自主納税してくれれば、徴税吏員は全く不必要な存在になるからです。)
 対象者を訪問調査してみて、どう見ても担税能力のない、つまり税金を納めることが出来る資力も体力も気力もない人もいるわけで、場合に応じて、しかるべき処遇を決定する場合もあります。
 例えば、ある調査対象者のデータは男性で年齢は三十歳台と若いのですが、実際に居住する下宿を訪ねてみたところ、脳内出血による半身不随の寝たきり状態で、督促状の呼び出しに応じるどころでなく、年老いた女の家主さんの好意で何とか生活していたことがわかり、福祉事務所担当者と相談して養護医療施設に入ってもらったこともあります。
 私が玄関先で名前を呼ぶと、下宿の薄汚れた一間から廊下に這いずり出てきた、その人の姿を見たら納税相談どころか、どうやって生活しているのかということが、まず心配になりました。
 その下宿には、ほかにもいっぱい私の「お客様」がいましたが、いずれも訳有ってここに流れつき、ひっそり肩を寄せ合って生きているようで、七十歳をとうに越した家主さんも下宿代を貰っているのかどうか、定かでない感じでした。
数年前に都会の片隅で誰にも知られず、病身の息子と看護していた年老いた母親とが餓死した事件がありましたが、私が見て生活保護の適用を受けてもおかしくない暮らしをしているのに、それでも公(おおやけ)の世話にならず、幾分なりとも納税しようと努力してくれたケースもありました。また、テレビドラマみたいに、どうしてこんなに不幸が重なることがあるのか、と考えさせられた家庭も現実にありました。
額は少なくても、そうした方々がギリギリの生活から絞り出すように納入された、人生の苦さが重く詰まった「血税」を手にすると、おろそかに無駄遣いできないという思いが募る一方で、十分以上に贅沢していながら、脱税したり、納税を渋ったりする連中の不正を見聞きすると、どうしても許せない感情に駆られました。
 また、これまで報道されたエリート大蔵官僚の腐敗ぶりも許せません。北見税務署にも、何年置きかに中央から東大出の若い署長がやって来ますが、どれほど納税現場を認識しているかは不明です。少なくても、現場での納税者と担当者の葛藤を知っているのならば、中央に戻っても「ノーパンシャブシャブ」接待を受けて、国費の無駄遣いになるような便宜を図ることはできないと思います。(国家公務員や道職員の不祥事が報道されると、市民の中には市役所職員のことと混同される方もいて、悪し様に罵られ、大変迷惑なことがあります。)
 市も含めて、国や道の出世コースを目指す職員には、一度は必ず実際に納税者と対面し、税金を徴収する現場に回る人事異動を制度化すると、もう少し血のかよった行政を考えるようになるかも知れません。
 高度成長からバブルへ経済構造が動く中で、「自分さえ良ければ良い」「金が全て」という我利我利亡者が日本社会のあらゆる階層に満ちあふれ、助け合う相互扶助の精神が失われています。秩序なき資本主義は、弱肉強食の本性をあらわにして、資本のない地方は切り捨てられ、弱者は益々見捨てられる、そんな時代になってしまいました。
 国民に税金を公平に納めて頂くためには、公として国民の人権や生存権を等しく保障する責任があるわけで、どんな僻地であっても文化を享受し、健康で平和に生きる権利を国民が行使できるようにしなくてはならないと言うことだと思います。行政への信頼回復なくして、自主納税も何もないわけで、公務員には、憲法の理想を少しでも実現する責務があると、私は思っています。
 話が少々、本題からはずれましたので、元にもどしましょう。

 税金を納入していない人に「税金泥棒」と面罵されたり、ヤクザ事務所をこわごわ訪問調査したり、様々な体験の中で色々な矛盾を感じ、悩みながらも、経験豊富な先輩、良き同僚達に助けられて、仕事に取り組んでいた、ある日のことです。
 以前に納税相談を受け、納入約束が不履行の家庭に、夕食時に電話をしたところ、何回か呼び出し音が続き、今日も空振りかと思って受話器を置こうとした瞬間です。「はい」と言う、四・五歳くらいの幼い男の子の声が、受話器から聞こえてきました。
「○○さんのお宅ですか。市役所ですが、お母さん、いますか」
その子は「ちょっと、待ってください」と、受話器を置いて、少し離れたところで誰かと話をしている様子が切れ切れに聞こえ、ややしばらくして「おかあさん、『いない』って言ってる」と答えてきました。 多分、母親は何とか居留守を決め込むつもりで、その子には「市役所のおじさんには、いないと言って」と指示したのでしょうが、子供は正直に母親の言ったとおりに、私に伝えてきたのでしょう。
 「そう、お母さんは『いない』って言ってるの…。それじゃね、市役所のおじさんから、お母さんに連絡くれるように電話があった、と伝えてね」と電話を切りました。
 「その、いないって言ってるお母さんを電話に出して」と、罪のない子をせめたてるのはたやすいことですが、どうしても私には出来ませんでした。実は私にも、その子と同じような体験があったからです。

 「おかあさん、お店に知らないおじさんが二人きているよ」
 見上げる私を、母は「しっ」と一声するどく制して、家の裏口にあった石炭小屋の暗がりに、身を固くして、じっと立ちすくんでいた姿を、今も思い出すことがあります。
まだ、私が小学校へ入学前の記憶のようですから、一九五〇年代のはじめくらいかもしれません。家には私と母親しかいませんでした。丁度、姉や兄は学校へ行っている時間だったのでしょうから、昼時だったのでしょう。
 その当時は、一般家庭では電灯は夕方にならなくてはつけませんでしたから、室内はいつも薄暗くて、日中の道路からの照り返しで、店先に立った二人の黒いシルエットばかりが私の目に焼き付いていて、どんな年格好の人達であったか、全然覚えていません。ただ、母の異様に緊張した様子だけが、強烈に脳裏に刷り込まれているのです。
私が大学へ遊学させて貰った頃に、母にこの「思い出」を話しましたら、「お父さんが急死して、お前達、残された三人の子供たちを抱えて、経理も分からずに時計店を引き継ぎ、おっかなびっくり商売をはじめて、税務署や市役所の納税課の人が来るたびに、ただ怖くて逃げ隠れしていた時のことだろうね」と申しておりました。
 多分、徴税吏員であったろう、そのおじさん達に幼い私がどのように応対したか、また母がどうしたのか、全く記憶にありません。もしかしたら、先の電話の子供と同じように「おかあさん、『いない』って言ってる」と言っていたのかもしれません。
 私が成人するまでの間に、幾度も従業員の使い込みに遭い、倒産しそうになりながらも、差押も受けないで、今日まで時計店の経営が続いているところを見ると、税金も何とか納入することができたのでしょう。
ということは、何も知らない母に商売をする上での社会的常識を色々教えてくれ、支えてくれた人達がたくさんいたと言うことでしょう。
 最近、姉から聞いた話では、高校生になった姉は母に頼まれて、二人で一緒に税務署へ出向き、職員の方に親切に申告書などの書き方を詳しく教わったそうです。当時の市役所納税課職員が親切であったかは、二年前に母が亡くなってしまいましたので、もう聞くことはできません。
 「親の因果が子に報い」ではありませんが、四年間「税金取り」になった私は、ただ怖くて逃げていた母の姿を見ていましたので、自己満足かもしれませんが、自分が受け持ったお客様には出来るだけ説明をし、納得して納税して頂くように、努めたつもりです。
 今でも、私の母のように社会制度や法律について無知なために困っている人達が多数いる筈で、こうした人達と交流し、仕組を説明するのも行政職員に取って欠かすことのできない職責だと思われます。
 不景気で税金を納入したくても、できない方たちが増えています。
 「税金取り」だっていつも悩みながら仕事をしているわけで、権力の手先として市民の皆さんに嫌われたくて仕事をしているわけではないのです。職務に忠実であろうとすればするほど、矛盾を感じて、気の弱い職員の中には精神を病んでしまう人もいるのです。
 「地方分権」時代などといいながら、国にとって都合の良い、安上がりな地方制度が仕組まれつつあるようですが、そのような時代にあって一般市民と市役所職員がお互いを見下し、敵対するのではなく、対等の立場で社会状況を理解しあい、生きる知恵を出し合うことが、この北見で二十一世紀を生き抜き、民主主義の理想を実現するのに必須なことである、と私は思っています。


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