2000.1.13号 22:00配信


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北見市役所文芸部発行「青インク」より

小説「銃口」と小川文武氏との出会い

細川 弘文


 三浦綾子氏の小説で、北海道綴方教育連盟事件をテーマにした、「銃口」が「教師竜太の青春」をタイトルにNHKで放映され、話題を呼んだ。
 私は、昭和二一年に死亡した父の五十回忌の法要を営む準備の際、記録に残すために父が学んだ旭川師範学校の同期会誌に目を通すうち小川文武氏の名前と文章を見つけた。この小川文武氏は三浦綾子氏が「銃口」のあとがきで述べているように、主人公である「北森竜太」のモデルになったその人である。

 新聞で三浦綾子氏が第一回井原西鶴賞を受賞し、その授賞式に小川文武氏も同席していることを知り、お会いする約束をした後、私は旭川神居町に同氏を訪れた。学生時代の父と小川さんとの懐かしい思い出話や、小説の題材になった体験にも話が及んだ。教師になって間もない当直の夜突然官憲に連行され特高警察から受けた非人間的な取調べの話などをつぶさに聞き、身の引きしまる思いであった。
小川さんは、はじめ医者を志して北大医学部に合格しながら経済的な事情等で入学できなかったことや、官憲の弾圧のため検挙後警察の地下牢での拷問を受け、幾度も自殺を繰り返しながら果たされなかったこと、当時同窓会名簿から「非国民」などとして名前を削られ、悔しかった思いなどを淡々と話された。

 旭川師範学校同期会誌「二十一人集」のなかで小川さんは次のように述べている。
「教師たちが教育に情熱を持っていたが故に、仕事に創意がもられたが故に、その実践が研究的であったが故に、子どもたちの生活を心配したが故に・・・・・・権力はそれらの教師たちを危険人物とみなし、逮捕または検挙した。多くの人を留置場で病人にし、あるいは拷問で自殺者を出し、そして有能な教師たちを教職から放逐してしまったのである。(平野婦美子著「女教師の記録」から引用)当時特高に検挙された事によって、同僚や同窓から浴びせかけられた悪罵は、私にとって耐えがたいものであった」「不正な弾圧のために、自分たちの仲間から引っ張られて行くのを心から憤慨した同僚が幾人かでもあっただろうか」更に小川さんは、「昭和一六年から一九年まで特高が、また二十年には絶えず憲兵の目が私の背後にあり、この数年間は私の前半生にとって最も暗い時代であった」と記している。

 小川氏と三浦綾子氏との出会いは、小川さんが自分の受けた体験を記録しようと文献を調べるために出入りした旭川の書店の店主が三浦綾子氏の教師時代の教え子であったのがきっかけである。また、小説にある「幌志内」という地名は三浦綾子氏が旭川高等女学校を出て歌志内で教師をしていたことによるものである。(小川文武氏がNHKでドラマ化の際、三浦綾子氏との会話から)
 また、三浦文学の中で、「銃口」の主人公が唯一男性であり、また、クリスチャンでないことなど、小説が誕生するいきさつを小川さんから聞き、大変興味深いものであった。
 私は小川文武氏の話を聞きながら、権力をかさに弾圧する側に立った者への怒りとともに、小説「銃口」を生んだ小川文武さんらの教訓が、戦後の日本に果たして生かされているのだろうかと思う。当時、情熱に燃えた若き教師が身に覚えのない罪で権力の弾圧を受けたことを考えるとき、どんなに驚き、うろたえ、傷ついたか想像するに余りある。
 「ドラマ銃口・教師竜太の青春」のなかで竜太の恩師坂部先生が獄中で、「竜太、どんなに苦しくても人間としての良心をなくすな。おれたちは、いま人間として生きつづけられるかどうか試されているんだ」との言葉が重く脳裏に焼き付いている。
 先の戦争で日本人の死者は約三一〇万人、アジアで約二千 万人の人々が戦争で命を失った。一人ひとりの死がそれぞれの父母、夫、妻、息子たちにはかり知れない悲しみと苦しみを与えたことを考えるとき、戦争への深い反省と平和を守る大切さを私たちに教えている。その反省の上につくられた日本国憲法は今守られているのだろうか。


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