磯野先生はみずからの戦争体験を語り、熔子に語りかけた。 
							「こわれやすい平和の時代に育った君たち、歴史の真実から目をそむけないでほしい」。 
							 
							 磯野は学徒動員で南の島に送られ、多くの友人を失っていた。九死に一生を得て日本の土を踏みしめたとき、磯野は決意したのだ。 
							 
							
								
									
										
											いわれなく殺されていった 
											262万人の死者たちのた 
											めに、ふたたび戦争の惨苦 
											をくりかえさせぬために、 
											生きようと思った。 
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							 だが、戦後5年もたたないうちに、アメリカは日本を基地にして朝鮮で戦争を始めた。「朝鮮特需」の好景気で、原爆に焼かれた子どもたちの墓標は忘れ去られる。そんな風潮に広島の母たちは胸の底からの怒りをうたう。 
							
								
									
										
											君たちよ 
											もういい 
											黙っているのはいい 
											・・・ぼくたちはひろしまの子だと 
											みんなのからだへ 
											とびついてこい 
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