2001.5.21号 07:00配信
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大草原からのぷちメッセージ

五月病

(by いくちん)


北海道に初めて住み始めたのが、12年前の4月。短大に入学する年です。ほとんどの人がそうであるように、私も例外なく、ホームシックに悩みました。俗に言う5月病。生まれ育った地を離れ、一人北海道へ。周りは全て見知らぬ物ばかり。言葉も食べ物も、そして人間も。
ファーストフードに行きました。注文後、「ポテトはよろしかったですか?」これって、どう答えたら良いんですか?(今は解読済みですがー)“カツゲン”“やきそば弁当”なんですか?(今では口にしてます)12年経って、あたり前の事ですが、当時の私には見当の付かない事ばかり。しかし、若さゆえか、これらに対応するのには、然程時間を必要としませんでした。自分の中に入り込む色んな経験・体験を受け入れる事が出来たのです。

その後、毎年4月に転居し、その都度ホームシック。やっぱり5月病。2年目は、近所のアパートだったので、それほど生活に変化はありませんでしたが、3年目は大変でした。道東から道南へ。しかも、就職は小学校。夢が叶い、祈願の教員に胸躍らせた転居でしたが、教壇に立ち39人の視線が集まると、オドオド。おおげさかもしれませんが、“北海道人ではない”という事が自分に不安感を持たせていたようです。そしてついに、やっちゃいました。毎日欠かさず書いていた学級通信に、標準語では、「冷や汗が出る」と書くのですが、東北なまりで、「ひやせが出る」と書いてしまったのです。でも、これもまた子ども達の無垢な笑顔に励まされ、なんとか乗り越えました。

結婚、この地に永住すると覚悟を決めた新婚生活。その直後にマタニティブルー。それもまた5月でした。全ての“初めて”に、立ち向かう気力を失い、そのまま切迫流産寸前で入院。病床にて5日目の朝を迎えた日から、来るわ!来るわ!何が?って・・・地域の方の”お見舞い・ごあいさつ”結婚して数ヶ月、会った事もない方々が、次々に病室にー。これは、田舎の良くもあり、悪くもありの慣習。これにもまた、馴染んでいかなければならない。その時の、お腹の命は無事に7歳になりました。母の”五月病”など知る由もなく、凛々と個性的な花を咲かせています。

次回は、いよいよ牛飼いさんのドジ話を紹介しましょう。
また覗いてみて下さいね。


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