2000.3.9号 09:00配信


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第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊

「食と生活の記録」より/by 西村淳



「作業開始2」

さて最初の昼飯デビューである。作る時間はそうないし、手軽で、揚げたり、焼いたりといった手間はかけず、しかもうまい物はないかと世の奥様達が毎日思っていることを考えながら冷凍室をごそごそあさっていたら目に付いたのが「冷凍かつおのたたき」。これを5本程持ってきて室内へ・・・室温にふれた途端表面にサーとみるみる霜が付着してくる。室温は+20℃ 冷凍品はー60℃、室内の水分が80℃の温度差であっというまに表面に凍り付く。これを水につけると、パキッ パキッという音とともに解凍が始まる。10分程で水からあげて、ペーパータオルでくるんでおくと、30分程で程良い状態に解凍される。業者さんに聴いた受け売りだが、冷凍のまぐろ等は、室温でゆっくり解凍するよりも、30〜40℃の塩水? 塩湯?で一気に解凍した方が格段にうまいと言う。もちろん何分もつけるのではなく5〜6分程であげて、水気をよく拭き取るのはいうまでもないが・・・・ピチットシートの商品名で市販されている、「脱水シート」、これでくるんで後は冷蔵庫で、ゆっくり戻していくと、身がきれいな赤色のまま解凍される。ついでに「ピチットシート」であるが、鰺や鮭等を掃除して、塩をふり、これに包んで、水分を抜いていくと干物や新巻鮭が出来てしまう。もちろんシートが水気を含むと
変える作業を2〜3回はしなければならないが・・・お試しを。

話を戻して
包丁が通るようになった「かつおのたたき」を小さな賽の目に切って、2:1の割合で混ぜた醤油と酒の混合液につけ込む。身はたくさん吸い込むようなので、漬け込み液はたっぷりめにして、1時間ほど時間をおき、電気圧力炊飯器で炊いた熱々のご飯にこれをおたまでたっぷりとぶっかけ、レ・ホールというすさまじく辛い「冷凍西洋わさび大根すりおろし」をのせ、刻み海苔もたっぷりあしらって出したらお代わりの続出であった。まぐろではなくて鰹を使ったので「銀火丼」とでも命名しておこうか・・・。板前をやったり、ドカチンをやったりほんとにめまぐるしいが、午後からは建設作業の地均し作業員になった。これもユンボやブルドーザー等の機械力を使うわけではなく、ひたすら人力で行う。 

建設予定地は、観測棟に隣接している所だったが、ここには吹き溜まりがたっぷりとできていて、まずはこの除雪作業から始まった。次に5m四方に大体の線を書いてひたすらスコップで掘っていく。出た雪は20m程離れた所までプラスティックの橇で引っ張っていくのだが、これがつらいのつらくないの・・・・。なにせこのドーム基地は標高3800m、富士山よりさらに高いところにあるので、酸素の量も2〜3割少ない。ちょっと動くだけでも酸欠で「ヒーヒーゼーゼー」となるのに、この土方作業は正直死ぬかと思った。例の文句たっぷりの「宮嶋カメラマン」もこの作業にかり出され、こき使われていたが、「この世でいちばんつらい拷問は、穴を掘ってそれを又埋めて、別の所に又穴を掘って又埋めてを繰り返す事やそうだけど、これがそうやないですかーほんましゃれにならんですワー」とぶつぶつ連呼していたが、手伝わないと飯が当たらない原始共産社会に叙々になれてきたせいか、一生懸命やっていた。

37次隊やサポート隊が引き上げた後この建物は無事に完成するのだが、まだ高地に慣れていない体には、越冬中一番つらかった肉体労働だったと言っても過言ではない。手作業でのドラム缶ころがしや、Tシャツ一枚での廃棄ドラムの掘り起こし、ー70℃での大型観測気球の打ち上げ等、物理的にはもっとつらい作業がたくさんあったが、体感した作業のつらさはこれがNo1であった。諸作業は毎日淡々と進み、2台の橇に収納されている食糧も建物のすぐ近くまで移動され、搬入準備もようやくできたところで、早くも37次隊及びここまで一緒に行動をともにしてきた38次サポート隊とのお別れの日が近づいてきた。


写真 人間犬橇
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
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