2000.3.10号 07:30配信


Home


第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊

「食と生活の記録」より/by 西村淳



「別れの日」

出発準備も整った夜、「38次ドーム隊」主催の送別会が開かれた。メニューは37次隊の、リクエスト及びオブザーバーで参加していた中国の交換科学者「李さん」に敬意を表して中華のフルコースにした。米山ドクター手製の雪上車のベアリングを、使って作られた回転テーブルの上に酔鶏・上海蟹・鯛の中華風刺身・くらげ・鮑の蒸し物・北京ダック・中華饅等をごっそりと盛り合わせ、この日ばかりは缶ビールも飲み放題、コンクではないウイスキーも飲み放題としたした。

宴が盛り上がるにつれ37次隊はまもなくおとづれる帰国の日々に思いが飛び「新鮮な生ビールも死ぬほど飲んでやる。 毎日流しっぱなしのハリウッドシャワーもしこたましてやる。 くそとションベンも日に3度は一緒にぶちかましてやる」とボルテージはがんがんあがっていった。対する38次隊は「はいはい、何をしても金のかかる下界に早くお戻り下さい。こっちは酒も煙草も食事も何から何までみーんなただの世界でゆっくり楽しまさせていただきます」と返しても今一つインパクトにかけた。明けて次の日の午後いよいよ37次隊・サポート隊の出発の時がやってきた。雪上車の暖機運転が終わり、残される38次隊が一列に並んで見送る中、出発するメンバーが一人一人握手をして、雪上車に乗り込んでいった。

半死半生?でドーム基地にたどりついた我々を温かく出迎えてくれた37次藤井隊長・米山ドクター・池谷隊員・藤田隊員。ビールを温めて飲むのが大好きでいつも笑顔を絶やさなかった中国からの李さん。不平不満の嵐の連発の中、精力的に写真を撮りまくっていた宮嶋カメラマン。圧力差を考えないでインスタントコーヒーの瓶をあけて中味をばらまいたり、雪上車の中で転倒したりと、どじさにかけては誰もかなわなかった、気象庁から派遣された中島隊員。雪上車のプロで、食欲にかけては誰もかなわなかった大原鉄工所からの関口隊員。みんなが順番に雪上車に乗り込んだ所で、先導車から高らかにクラクションが鳴らされた。

4台の雪上車がそれぞれ何台もの橇を引っ張って目の前を通り過ぎていく。出発組は運転席・助手席から身を乗り出してちぎれるほどに手を振っていた。なんとあの宮嶋カメラマンが泣いている。宮嶋節で書くと「あー今思えば、不肖 宮嶋 よくぞこの白い地獄、地の果てにあったサテイアンで生き延びた物だ。 数え切れないほど命の危険を回避し、今こそ我が祖国 大日本に帰国する日がやってきた。 地よ割れろ!天よ泣け、我が宮嶋茂樹今こそこのドームから、今は亡きステイーブマックイーンより劇的な大脱走を敢行する。」と書くところだろうが、とにかくあの宮嶋氏が泣いている。

うれし泣きか????。でも・・でもである。雪煙で視界が悪いと思ったら、目から涙の流れ落ちている事に気がついた。悲しくはないのになぜか涙腺が緩んで止まらない。涙は下にはほろほろと落ちず、すぐ凍って、顔ががばがばになった。でも去る者、見送る者それぞれ万感の思いを込めて手を振っていた。残された38次越冬隊は雪上車が地平線に消えていっても、しばらく刻まれたトレースを眺めていた。頭上にはハローと呼ばれる太陽にかかった大きな輪が私たちを見守るようにキラキラと光り輝き、硬質のスポットライトを浴びせてくれた。いよいよ9名だけの長い々越冬生活がこの瞬間から始まった。


「越冬交代」


「ハロー」

注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。



あなたのご意見やご感想を掲示板に書き込んでください。

indexbacknext掲示板


Home
(C) 1999 Webnews
ご意見・ご感想・お問い合わせは webmaster@webnews.gr.jp まで。