2000.4.10号 08:30配信


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第38次南極地域観測隊 ドームふじ観測拠点越冬隊

「食と生活の記録」より/by 西村淳



「観測と設営の話4」

まあ「南極の思想は」横に置いておいて、設営の7〜8割はもう南極に戻ってこない話を一つ・・・。
設営の各部門、機械・調理・医療・通信等々一人前の技術者として来ているが、日本に帰ればそれぞれ各組織の第一線で、要として活躍している人達ばかりである。当然そこから一年以上も離れるとすると、組織のダメージも大きいわけで、帰国した観測隊員が職場復帰した後「あのー・・・又南極行きたいんですけど」等と言うのは非常に勇気が必要だろうと思われる。 

企業ぐるみで「南極観測事業」を応援している企業の中から来ている人は2度、3度とカムバックして来る場合もあるが、大抵は一度切りでENDである。それはさておき人がめったに来られないところにワンチャンスをもらって来たらどうなるかこれはもう記念品・メモリー・証拠の品とにかく写真やビデオ等を撮りまくる事になる。題材には事欠かない。

氷の景色・ブリザード・オーロラ・あざらし・ペンギン・雪鳥・雪上車等どこを切り取っても、どんな安いカメラで撮っても、マイルドセブンライトかロッテクールミントガムの世界が出現する。大抵の人達は、その時の最新のマシンを購入していくので、昭和基地での新旧越冬隊ご対面時には年毎に登場する、新しいビデオやカメラとのご対面も待っている。30次隊の時はC−VHSと出たばかりのSONYの8mmビデオが全盛で、EDベータと言うマニアックな機械を持ち込んだ人もいる。

越冬終了時に次の31次隊が手にしていたパスポートサイズの8mmビデオをを目にした時は、一年間の文明の進み具合に?本当にびっくりした。まあそんなカルチャーショックはまだまだ続いているようで、38次隊の時は、39次隊の毎日新聞のオブザーバーがドーム基地に持ち込んだデジタルカメラに驚いた。35万素子の物は我が隊でも持ち込んでいたが、 それがわずか1年で同じ様な大きさと価格で80万素子にアップしているとは・・・・・。まあ100万アップが当たり前の現代では笑ってしまうような話だが、雑誌やテレビ等、メデイアの情報なしにいきなり現物にお目にかかるとほんとにびっくりしてしまう。そういったおもちゃというかマシンを駆使して、お父さん達は愛する妻子や恋人?や友人や職場のために、日々の暮らしや環境を、ひたすら画像を焼き付ける作業に追われることとなる。

オーロラの季節ともなると、当たり前だがオーロラは晴れ渡った夜にしか見えないので、文字通り寝る暇も無いことになる。これ又当たり前だが、オーロラ観測で来ている科学者は、朝になってデータ整理が終わると寝酒を一杯入れて、温かいベッドで御就寝となるが、生活全般を担当する設営は昼間が本番。ここで寝てしまうと、目が覚めてから文字通り「身の置き場」がない事になってしまう。しつこく当たり前だが、科学者諸氏は、この南極を研究テーマに選んだ以上、何回も繰り返して観測隊に参加する人が多々おられる。当然その年毎に研究テーマを持って来られるわけで、必然的に一発勝負の設営諸氏とはリズムが違ってくることになる。

最初はなんとか合わせていても、リズムの違いは少しずつ少しずつ不協和音となってきて、越冬中には程度の差こそあれ、多少の意見の相違と言うか、衝突と言うか、まあそんなものが有るみたいであるが、「終わりよければすべてよし」で、越冬中に溜まったおりも、次の隊が来て昭和基地内をかっぽしだすと、春の雪みたいにトロトロと溶けていく。となればいいのだが、雪解けが進まず帰りの観測船の中でボコボコにされた人も過去にはいたとか・・・。それも刑事、民事併せて時効となっているのでこの話もここまでである。


写真「衛星画像で見たブリザード ゆかちゃん」

注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。



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