人間どんなにめげたときでも、つらいときでも、酒を酌み交わして大騒ぎをすれば大抵の問題は解決すると思いこんでる私は、みんなの気持ちがブルーになり始めた今こそ「誕生会」をやって三木のり平じゃないけれどパーッと一発やりたかった・・が・・誕生会が出来ない事にある日気が付いた。出来るわけがない。なんと3月・4月生まれが隊員の中に一人もいなかった。それでも何とか理由を作ってやってやりましょうと虎視眈々と機会をうかがっていたら、若干不逞心ではあるが、チャーンスがむこうから飛び込んできた。作業中に浪速の兄ちゃん事「川村隊員」の指が2度の凍傷になってしまったのである。
治療そのものは、すぐ風呂に手を突っ込んで温めた後痛み止めのため実施された奇跡の麻酔医福田ドクターによるずぶりと注射針を突き立てる「肋間神経節ブロック麻酔」の効果により最小限に症状は押さえられ、大事には至らなかった。大したことがないとわかると、私のわがまま虫が又しても騒ぎはじめ「5月は誕生会があるし、ミッドウインターもあるし、何度も何度も宴会なんてやってられないから早くそのけが直してやー」攻撃により2週間あまりで、大体全快を迎えた。治ったとなると早速宴会である。
1997年5月4日「兄ちゃんがやっと自分でうんこをふけるようになっておめでとう宴会」が盛大に挙行された。この日のメインシェフは趣を変えて、当直の「本山シェフ」。兄ちゃんが所属する雪氷部門のリーダーである。(総員2名)言い方を変えれば「今日まで一人でやってきたのだから明日からはこき使うよパーテイー」と言うのが正式名称か・・・。
とにかく本山シェフでこの日の大宴会は盛り上がり、みんなのストレスもちょっぴり和らげてくれた。
ちなみにこの日のメニューは
・串揚げ各種
・カボチャの煮物
・海草サラダ
・帆立フライ
・豚ひれ肉、ブロッコリー、人参のグリル
・しじみ味噌汁
と「おいしそうだけど自分の好きな物ばかり並べたの?」と呼称された献立だったが、真心と「治ってうれしいの!」エキスがたっぷりちりばめられたメニューだったので全員でおいしくいただき、身体障害者にならないで、今までの所帰国できるめどのたった兄ちゃんのため深夜までおおいに楽しんだ。ちなみに写真は喜びが大きすぎたのかだれも撮していなかったので永久に拝むことはできない。残念!!
「凍傷直後の川村隊員」
「麻酔医の神業」
注意:写真はすべて国立極地研究所に属します。
個人で楽しむ以外(メディア等への掲載)は禁止します。
|
|