朝、目覚めたら窓の外にはサロマ湖が、と一瞬思ったけれど、それは紀伊水道の海だった。いいお天気に恵まれ、青い南の海にたくさんの船が浮かぶ。もう一度鳴門の渦を見に、「渦の道」へ行く。これは鳴門大橋の新幹線を通すように作られたところに新幹線が通らなくなり、そこを人が歩いて行けるようにしたものである。全長1629メートルとあるので、まるでルクシ峠と同じ距離で四国は淡路島とつながっているのである。鳴門の渦は昨日も書いたが、潮の満ち引きで生まれるので、今日も満潮時間にはほど遠く、それでも波と波とがぶつかり合い小さな渦が巻いているのは目にすることができた。眼下にはたくさんの小舟が出ていた。鯛を釣るのだそうだ。そう言えば今朝もお味噌汁に鯛が入っていたっけ。ここで食べる鯛はとてもおいしかった。養殖の筏も数見えて、あれはワカメかと聞くとワカメは養殖をしていないのではないかという答え。それに続けて「ワカメはヨウショクではない、和食だ」と言う仲間の言葉に口あんぐり、おじさんの洒落は疲れる。
今回四国に来ることになって注目したのが鳴門にある大塚国際美術館である。これは大塚製薬が建立した世界でも有数のの規模を誇る美術館である。何しろ70だか80億だかかかり、予算を10億オーバーしたのでその年の職員のボーナスがカットされたと言う曰く付きの建物である。その真偽はさておき、ウワサに違わないものすごい美術館であった。地下3階から地上3階まであり、展示している作品数は1079点。
100ではなく1000である。それも時代も様々、国も様々、およそ世界中の有名な作品はすべて陶板に焼きつける形で再現され、その規模と作品数とで見る者を圧倒する。落穂ひろいもムンクの叫びもゴッホのひまわりもすべて勢ぞろいである。本当にたまげてしまった。全部見るには一日がかりになるだろう。その向いにこれまた大塚製薬の迎賓館とやらがあった。大塚製薬はかつて軟こうを貝殻に入れていたのをチューブにしたのが当たり、今日を築いたというのだから何が幸いするか世の中分からないものである。
その後、鳴門を後にし一路徳島を南下、高知に向かうのだが、実はわたし、両親が大阪出身ではあるが、その元をたどれば徳島の生まれであるので、徳島はわたしのルーツとばかり楽しみにしていたのだが、徳島は思いのほか山ばかりであり、細いくねくねした山道を車で揺られ続け、日頃したことのない車酔いなどしてしまって全然いい印象ではなかった。北海道のまっすぐな広い道をビューンと飛ばして走りたくてたまらず、私はすっかり北海道の人間であることを今さらのように確認した今日であった。仲間曰く、「これでも国道か。北海道の歩道の方が広いぞ」。自然や環境が、そこで育つ人間に与える影響は大きいと思う。北海道で生まれた者にはやはり独特の人間性が育つのではないだろうか。
朝は鯛、夜は土佐のカツオのたたきであったが、今日は疲れてあまりおいしい食事とはならなかった。おまけにここは町のホテルで温泉がない。かくして旅の二日めは情けなくふけていった。
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