2001.6.9号 07:00配信


日本史

歴史上の人物論


  (序)

 以下に「平将門」を採りあげて語る。
昭和51年、海音寺潮五郎原作「風と雲と虹と」がNHK大河ドラマとして放映されたが私は主人公平将門に強く惹かれた。その人物像は原作者や脚本家によって相当脚色されていようが、正義感の強い木訥な田舎の好青年であり、人に頼まれると「いや」とは言えず、ついには国家に対する反逆にまで走ってしまった。しかしその気質は、どこか私自身のうちにも思い当たるものがあり、強く親近感を覚えるつわものである。

   生い立ち

 将門は陸奥の鎮守府将軍、平良将(良持説もある)の嫡男として903年(延喜3年)下総国相馬郡で生まれ、以後長らくそこで暮らしていた故、幼少の頃は「相馬の小次郎」と呼ばれた。そこは現在の茨城県南部と千葉県北部のあたりであり、課題1で述べた如く、国主の厳しい調庸取り立てに反抗して、しゅう馬の党など、群党が世に満ちていた時代である。
 将門の一族は桓武天皇の子孫であり4代目 高望王が「平」の姓を与えられ、上総介となって坂東に下り、後に土着して勢力を伸ばしていたものである。
 坂東の地はまだまだ未開であり、特に将門の父が領していた相馬郡、猿島郡、豊田郡、岩井の営所あたりは巨大な湿地帯で、本格的な干拓が行われたのは江戸期になってからである。そんなわけで、当時良将、将門には田畑は少なく従って彼らは私営田領主というより官牧、長洲牧の長官が本職であったとも言われている。そのような環境の中で将門は早くから父の従類達から乗馬、弓、太刀を教わった。後、常人では引けない程強い弓を引いたのは子供の頃からの激しい訓練のたまものであったろう。 


   都へ

 父の死後、一家の中心として一族を伴い、鎌輪に引き移った。やがて元服後、従兄弟の貞盛の後をおって都に登り時の右大臣、藤原忠平に仕えた。
 盗賊の追捕などで頭角を現した将門はやがて滝口の衛士に推薦され天皇の近くにあって警護にあたった。しかし、しかるべき方面に大量の付け届けをするということも出来ない不器用な彼は、貞盛のようには出世できなかった。
 こうした都の生活の中で、貴族政治の虚飾に満ちた空疎さを経験したことが後、坂東独立の意志を固めた要因のひとつだったに違いない。
 将門は都で12,3年過ごしたが、結局大した官位も得られないうち、国元から母の重病と領地が叔父達に奪い盗られているとの知らせをきっかけに帰国した。

    承平、天慶の乱

 帰国後岩井営所(現岩井市)の開墾に当たるも、父から譲り受けた土地を巡って叔父達と争うようになり、加えて妻良子は、源護の息子、扶に嫁すことが決まっていたのを奪い取ったことで、以後一族間で私合戦を繰り返すことになった。その戦いの中で、神懸かり的な武勇は一円に鳴り響き、坂東諸国の受領から治安維持を期待されるようになっていった。
 938年(天慶元年)、武蔵国の権守興世王、介源経基と郡司武芝との争いを調停したり、常陸国の受領の収納強行に反発する負名藤原玄明の応援依頼に応じ国衙を攻囲するなどの治安活動を行っている。しかしその調停活動が高じて常陸国守との対決となり939年11月21日同国衙をせめ落とした。ここに将門は国家に対する反逆者となった。ついで12月、下野、上野の国衙をもおとし、他国においても国司達は戦わずして逃げ出し、ついに坂東8カ国は将門が武力を以て支配するところとなった。
 そのころ、一人の巫女が、八幡大菩薩の使いとして、将門に「帝の位を授ける」とのお告げをもたらすという奇怪な出来事があり、興世王の勧めもあって以後彼は自らを新皇と名乗り、坂東8カ国の除目を行い国司を任命するなどした。
しかし翌年2月14日、在地土豪下野国押領使藤原秀郷、常陸国押領使平貞盛との戦いにおいて現岩井市北山にて戦死した。


    後世、現代への影響

 このように将門の反乱、坂東支配はわずか3カ月にしかすぎなかったが武力による権力奪取は正当である、とする彼の考え方はその250年後に源頼朝によって成就された。事実頼朝は「将門記」を愛読していたと伝えられている。つまり将門は後の武士政治の萌芽であった。

 14世紀初頭、大国主を祭る神田明神の祭神に加えられ、後に江戸幕府2代将軍秀忠によって江戸の守護神として現在の場所に祭られた。そして今も2年に1度、5月上旬神田明神祭で人々の崇敬を集めている。また様々な伝説、いわれを残した将門首塚は明治政府や米軍の干渉も排除し、東京大手町のビル群の中に現存している。毎年7月23日から3日間、福島県相馬市で行われる相馬野馬追祭は将門が行っていた軍事訓練や神事が始まりだと言われている。
 「国家に対する反逆者」の汚名を着せられながら今なお非常に敬愛され人気の高い武士(もののふ)、それが平将門である。


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