2003.1.30号 10:00配信
序 以下に都市の人間像を語るにあたり、まず人間類型を形成する都市に関してテキストや参考文献に当たりながらその成立の経緯などについて簡単に述べる。次にそれらに目をやりながら私の体験した都市風景のなかに姿を現してきた人間像について語ることにする。 本論 先ず都市とはどういう所と定義されているのだろうか。この問いは簡単なようで、答えるに難しい。漠然と「人間の大集落」と言えるが、それもただ人が集まっているところと言ったものではなく、様々な目的を持って組織立てられた諸集団が幾重にも折り重なりあって在る地域に集まっているところである。 歴史的にみると都市と呼べるものは、4大文明発祥の地にすでに形成されていた。さらにもっと古い時代の都市遺跡も発見されており、都市とは古い来歴をもったものである。 古代史をあたれば、至る所に様々な王国や帝国などが建設され支配者達はその支配の中心地として都市を建設している。また政治支配は宗教とも結びついており、政治、宗教の拠点として都市が建設され拡大していったものである。しかしこの古い時代の都市に住むのはごくわずかな人間だけであり、大半は 食料生産に従事する農村に住んでいた。 現在我々が良く知っている、国民の大半が住んでいる巨大都市が国内の至る所に形成され始めたのは、産業革命以後のことであり、我が国では明治維新後であり、さらに加速度的に都市化がはかられたのは急ピッチで工業化が進められた第2次世界大戦後からであった。 現在では日本各地にも巨大産業都市が存在し様々な問題を抱えながらいまだ膨張を続けている。そしてそれら人口数百万という巨大都市はそこに住む人間を、いわゆる都市的人間像といったものとして彫り出しているのである。 私の都市体験 私は60年余の人生道中、殆ど田舎で暮らしてきた。従って時折短期間の旅行者として、東京、大阪、京都などを訪れるといった断片的都市体験者にすぎない。しかしここ5年間は、当大学通信教育部に席を置いて、夏期スクーリング受講のため、のべ100日間ほど東京、横浜での都会生活を経験している。以下にその短い期間にかいま見た都市生活者について語るところから、本題に入ることにする。 人の激流 都会の人は歩くのが速い、ということはよく耳にする所であるが、私の実感ではそれは歩きなどと言う生やさしいものではなく、激流である。昨年、夏スクの際横浜市内に宿を取り地下鉄から東横線へと乗り継いで登校していが、私がどのように急いでも乗り換えの際は、いつも人の流れからはるかにとりのこされるのであった。参考文献「日常的世界の探求」120p 「都市のスペクタクル/都市体験の様相」から一文を引用する。 『、、、 街頭風景に置いて理解される都市がある。人波にもまれながら歩くときに体験される人間的空間と都市空間、都市のスペクタクルがある。歩行しているときのスピードがある。そうしたスピードに乗って立ち現れる人々の生活情景と都市景観がある。社会的現実がある。都市の様相がある。 、、、』 まさにスペクタクルである。私が住む田舎町では絶対に体験できない奔流である。 ここには大都会に住む人々の生活情景がみえている。日々激烈な競争の中で仕事が進められているいちがいない。従って仕事場という戦場に向かう戦士達は仕事以外の時間は可能な限り減らさねばならないのだろう。人生と生活を賭けて戦われる戦闘の場への足取りは自ずと速くなる。 行儀の良い都市の人 電車を待つ人、劇場前で入場を待つ人、遊園地で人気の乗り物を待つ人、みな整然とならんでいる。このじっと根気よく待つ姿には田舎ものの私は圧倒される。私はたえられなくて離れた所に立つか、そこへ入ることをあきらめて通りすぎてしまうのである。きっとこのように来た順番に列を作って待つことが目的を達するために最も合理的な行動なのだろう。 文化施設 東京、大阪、京都には様々な歴史的建造物、また美術館、博物館、劇場ほか多くの文化的施設が目白押しである。そして至る所で、さまざまなイベントが行われている。 私が東京へ出た際、楽しみに足を運ぶのは、上野公園内の近代西洋美術館である。 田舎にいては一生お目にかかれない名画展がお目当てである。人の流れにそって作品群に心の洗濯をしてもらいながら優雅なひとときをすごす。その際近くの人が交わす密やかな会話を聞くことも楽しみの一つである。 造詣の深い人の、作品に対する解説や作者に付いての知識は目の前にかかっている作品の理解を助けてくれることがしばしばである。 また美術館内での人々のゆったりした動き、トーンをおさえた穏やかな対話、落ち着いた雰囲気、それはラッシュ時とは見事な対照をなしてこれまた自分が都会にいることを実感させてくれる。 ストリートミュージシャン 夜の帳がおりる頃、雑踏にもまれながら駅舎をでて広場にさしかかると、ギターを抱えた若者が一心に唱っている。人通りを意識してその場にいるのだろうが、「オレは唱いたいだけ、人が聞いていようがいまいが関係ない」と言ったように無関心な表情でギターをかき鳴らし声を張り上げている。 私はたいてい、近寄って500円玉を彼らの前に置く。小声で「ご苦労さんです」といいながら。ちいさな会釈が返ってくる。 私は川が好きで、よく多摩川べりを散歩する。川面に映る街並み、様々な色の電車が鉄橋をわたる。赤やグリーン、ブルーと見ているだけで楽しい。流れくるゴミや異臭にはいささか機嫌を損ねるのではあるが。 土手の草にあぐらをかいて、ギターをならしながら唱っている若者を見かける。きっと今夜どこかの雑踏で唱うために練習をしているのであろう。 狭いレストラン 私は外国の都市に出かけたことはないが、文献で紹介されるロンドンやパリなどの街角のキャフェテラスにあこがれがある。東京ではそう言った空間は無いものかと、新宿、渋谷ほか名だたる繁華な場所を歩き回るが見つけたことがない。私は仕事がある訳ではないから、言うならば「遊歩者」としてこれといった目的のないままぶらぶらしているのだ。従って、ヘミングウエーが終日キャフェテラスに座っていて、そこから『日はまたのぼる』ほか多くの作品が生まれたというので 自分もそう言った雰囲気だけでも味わってみたいと思うのだ。 昼食時など野外のしゃれたレストランが見つからず仕方なくとあるレストランに入るとそこの内部空間は恐ろしく狭いのである。 杖をついている私には人のテーブルにぶつからないかと気がかりである。しかもしゃれた服装、あか抜けた動きをするボーイの姿はなくセルフサービスときている。 これら多くのレストラン内部のレイアウトや商売形態は、地価の高さに原因があるのだろう。 私の友人達も、都心から数時間の他県に家を構え、一人ないしは二人の子供達を教育し終わったら、もう定年をむかえている。 私は田舎に住んで、家も財産もさほどほしいと思ったことはない。大きな商売をしているのでもない。しかしいつの間にやら三軒の家と三千坪の森を所有している。 その森はいまから三十年ほど前五十万円で入手した。都会では一坪数百万、あるいは数千万円もしているというのにである。 都市に暮らす人たち、毎日超満員電車で締めあげられ、様々なコンパクトな場所で生涯を過ごしてゆく根気の良さ、辛抱強さには本当に頭の下がるものがある。 元気な主婦達 都会の夫たちは家族のため、黙々と働く。西欧諸国からは「働き蜂」とか「仕事中毒者」などと揶揄されながらも、政治の貧困さ大企業の横暴さに抗議もせずに。しかし主婦達はちがう。消費税導入の際、真っ先に反対の抗議行動を起こしたのは彼女たちであった。生活者としての意識も高い主婦達は、都市生活の様々な矛盾にたいして強い関心を持っているのだ。五円でも十円でも安いものを求めて買い物に熱をいれる彼女たちは自分たちの生活に響く社会問題に対しては田舎の人間には想像も付かないほど過敏なのである。あの殺気だった満員電車に毎朝もまれ続けていても暴動を起こさない夫達とは違う人種と言ってもいいのかも知れない。 まとめ 以上いくつか断片的ながら、時折立ち寄る都市のなかで感じる人間像にかんして語ってきたが、私のような田舎ものにとってはあらゆる点において都市生活者は驚異ではある。 しかし最近都会から流氷観光で我が街を訪れる人々と接する機会が多いが、その印象は、彼らは何故かいつもいらだっているように思う。お仕着せの旅行の中で、その行動が少しでも滞るとたちまち立腹し大声をあげる。 あの電車などで根気よくきちんと列を作って並んでいる姿からはいささか遠いものである。しかしあの並んでいるなかできっとストレスを積み重ねているのだろう。だからちょっとしたきっかけで爆発するのだと思う。 都会には都会のよさ、便利さ、快適さ、田舎ものには生涯経験できない人間文化のきらびやかさに触れる喜びもあるに違いない。 だがやはり「群衆の中の孤独」と言ったもののなかで都市生活者は精神の奥深いところでくたびれているのではないのだろうか。 「私の森に来て一休みしませんか」と一声掛けてこのレポートを終えることにする。 |