2004.1.5号 04:00配信
序) 課題2を採り上げ我が故郷の海、オホーツクに関して論述する。 一昨年7月より、サハリン最北東部オハ沖の大陸棚において油井、サハリン2が商業生産を開始した。今後数年間にサハリン6までが次々本格的操業に入るとされている。 計画当初より懸念されていた油汚染の問題がいよいよ現実味を帯びて、オホーツク沿岸に迫ってきた。事実昨年9月早くも現地の海上貯蔵庫で油漏れ事故が発生した。 ロシア側の発表では300キロリットル程度の流出とのことで、幸い大事に至らなかった。しかし平成9年、島根県隠岐島沖でのロシア船ナホトカ号の事故で、我が国の自然や地域経済に大打撃を与えたこともあり、我々はロシアの公式発表には疑いの目を向けている。まして来年度からは流氷期にも操業が続けられるとのことで、いまや石油汚染がオホーツク沿岸は勿論のこと、いろいろな意味で地球全体にまで及ぶ環境問題としてクローズアップされ始めた。 なぜオホーツク問題が地球問題となるのか、それに答えるにはオホーツク海の特異性について述べなければならない。 以下にその視点からオホーツク海の概要等も述べながら、想定される環境汚染問題に関して現状がどのようになっているかについて論ずることにする。 本論) オホーツク海はカムチャッカ半島、千島列島によって太平洋と、サハリンと北海道によって日本海と区切られている海域である。 面積は1,603,000kuでほぼ日本の2倍。 南側には最深3521mの千島海盆があるが、サハリン東側には広い大陸棚が広がっておりそれはオホーツク海のほぼ半分の面積を占めている。 冷涼なモンスーン気候で夏には湿った南よりの風が多いため濃霧が発生しやすく、冬は発達した温帯低気圧の後に吹く北西風が強いために寒気が流れ込み、暴風雪に襲われることもしばしばである。 海上の1月平均気温はほぼマイナス20度、8月で15度前後であり、年間降水量は多くても800mmくらいである。 さてオホーツク海の特徴は、冬季に流氷に埋め尽くされることであり世界の凍る海の南限をなしているということである。 なぜ北緯44度程の海が凍るのか。それはアムール川がその最大の要因をなしている。アムールは雪解け時、大陸から大量の真水をオホーツク海に注ぎ込む。この水は広い大陸棚表面に広がり、海水に塩分の薄い層を作り出す。太平洋から流れ込む海水に比べ比重の軽い海水は水深50m以下の塩分の濃い海水とは混ざらない。つまりオホーツク海は水深50mを境に塩分の濃い海水と薄い海水を持つ、二重構造の海なのである。ちなみに深海の塩分濃度は3.3%、表層のそれは3.1%ほどといわれている。 シベリア気団から吹き込む冷たい風は表面を冷やしていくが、冷やされた水の対流は50mの深さまでしか起こらない。それによってそこまでの海水が所有している熱が奪い取られ海氷が発生する。もし塩分濃度がどこも一様なら、さしものシベリア気団もオホーツクの熱を奪いきらないうちに春を迎え、凍らすことはできないのだ。 さてかろうじて凍るオホーツク海は、今国際的にも注目され研究が始まっている。それは日、米、カナダ、中国、ロシア、韓国などの科学者、研究者による様々な角度からの共同研究である。そして紋別市では毎年100名を越える内外の科学者、研究者が集い、北方圏シンポジュームが市民参加の下に開催され、熱の入った研究発表と質疑応答が行われている。それら研究の成果として、オホーツクは地球温暖化現象に対するセンサーの役割をはたしているということが確認された。 過去17年間に流氷面積が40%減少したと言われている。「このままのペースでは、あと22年で流氷は消滅する。」(東海大学)「50年後、オホーツク海の気温が約4度c上がり、氷結しにくくなる。」(気象庁)など様々な予測がなされている。 また流氷はあたかも海の蓋のような役割りを果たしている。海水の持つ熱を押さえ込み、太陽光の80%を反射させ、海流や風を発生させる非常に有効な地球の冷源の一つとなっているのである。 さらに流氷は、植物プランクトン、アイスアルジーと呼ばれる藻の養殖場の働きを担っている。流氷末期になると氷の海中側が茶色に染まってみえるが、これはそこで生育している植物プランクトンの色である。そこにエビやアミや他の動物プランクトンが集まりそれをねらって魚たちがよってくるという、食物連鎖の底辺を作る。また海底に沈んだアイスアルジーは貝、カニ、エビなど海底の生き物たちを養うのである。 かつて「白い悪魔」と恐れられ嫌われた流氷だが、研究が進むにつれ、この海が世界でも有数の漁場である根本作用を担っていることが判明し、今では漁民たちも流氷が少ないと心配するようになった。 それはオホーツク海から人間を閉め出し、生産活動を停止させるが、海の健康回復を計る時間だと言うことが、漁業関係者にもきちんと認識されるようになったからである。 このまま何事もなく穏やかに、人と自然の驚異とがふれあっているだけなら申し分ないことなのだが、サハリン沖の大陸棚に有望な油田、ガス田が発見されて以来、にわかに人々を不安に陥れる状況となった。 勿論経済的危機に見舞われているロシアにとっては起死回生の産業の一つには違いない。しかしこれまでのソ連、ロシアの技術力や態度から、オホーツクの住民達は、生活の基盤を破壊されるような事態が生ずるのではないかと危機感を募らせているのである。たとえば、先に挙げたナホトカ号の事故、廃棄原潜の海中放棄、放射性物質のずさんな管理、チェルノブイリ原発事故、ソ連、ロシアにまつわる危機管理の危うさは隠しようのない事実である。 今年のシンポジュームにはサハリン油田公社の責任者も出席し講演した。過去の石油事故に学び、厳重な管理の元に操業が行われている故何ら心配はない、と語っていたが、多くの市民は安心していない。 さて、それでは将来に想定される事故に対し国や道、そして市はいかなる取り組みをしているのだろうか。 昨年2月末、国はサハリン石油事故に備えいざというときの任務分担などを決めた。 二十省庁と内閣安全保障危機管理室が参加し、被害を最小限に食い止めるための連携を図ることが確認された。外交交渉や情報収集、油除去の具体的方法の研究など、ようやく諸計画の骨組みが作られた始めた。 道や市は、沿岸の他市町村とも歩調をあわせ、油回収装置を装着できる1000トンクラスの巡視船のオホーツク配備の要請、また諸装置の現地常備などを国に強力に働きかけた。それら行動の結果昨夏、まず石油回収装置が紋別市と網走市に配備され、それを使った大型巡視船による初の海上模擬実験がおこなわれた。 また国とは別に産学協同で、効率的な油回収装置が開発され、それらの公開実験も実施された。 それら油回収装置を簡単に説明すると、真空ポンプで海水と共に油分を吸引する方式のものと、オイルフェンスで集めたものをブラシのついたベルトコンベアで回収する方式のものである。真空方式では毎時90キロリットル、コンベア方式では毎時25キロリットル(ドラム缶125本分)の処理能力がある。サハリン最南端あたりで事故があれば海流と風の具合から、ほぼ8日後には紋別に漂着する、と計算されている。油の量にもよるが、その間にどの程度の体制を整えられるか、が被害の大小に決定的な影響を与えるだろう。 ことによってはいまやブランドとなったオホーツク海のホタテ、カキ、昆布、ウニ、他沿岸漁業は壊滅的打撃を受けるかもしれないのだからことは重大である。 かくのごとく徐々に備えを固めつつあるが、最大の問題は、流氷期の事故に対しての備えが、今のところ全くなされていないということである。 いままでも結氷期の流失油が氷とからみ、どのような動きをするのかにかんしてようやく研究実験が始まったばかりであり、具体的な方策はその後と言われていた。最悪の場合、「オホーツク大爆発」等と言った身の毛のよだつような予測すら密やかに語られてもいた。 そして本年度シンポジュームでの研究発表においては、その氷海での石油事故がメインテーマであったが、やはり今なお手探り状態のなか、一つひとつ成果を積み重ねている段階である、との結論であった。 最悪のシナリオはともかくとして、将来の気候変動に絡み、海産食料供給地としてオホーツクは重要な位置を占めている。紋別港の最東端に建設されたオホーツクタワーの海底階の窓から眺めるオホーツクの水はプランクトンのスープのようにみえる。世界でも有数の生産性の高い豊かな海であることが実感される。夜、海底に設置された強力なライトに誘われ大中小の魚や海鳥たちが繰り広げる食う食われるの連鎖の眺めは、自然の神秘と底知れぬ威力を見せつける。 結語 私は今最盛期を迎えている流氷の海を目のあたりにしながら思考を重ねている。 まず地域経済への打撃といった視点で考え始めることは当然である。しかしその焦点をのばしていくと結局地球全体の環境問題が見えてくる。その視界をもって、我々はオホーツクの流氷がセンサーとなって告げる地球の深刻な危機を真剣に受け止め、一人一人が自分の生き方を見直し、知恵を働かせてこの事態を乗り切っていかねばならないと。またこのセンサーを狂わせるような破壊をこの海に加えてはならないと。 それにはいたずらに恐れ惑うことなく、今こそ「危険のあるところにまた救うものも育つ」というドイツの詩人、へルダーリンの言葉をハイデガーの言う、「実存の危機」という局面だけではなく、この人類に迫る物理的危機の場面でも想起し、冷涼に、対処する方策を探ることが肝要であると考える。 産業を発展させながら地球環境を守るという二律背反のような行動をなんとしても確立しなければならない。 そして私は、人間という生き物はその知恵を生得的に携えているに違いないと、人間の可能性を信ずるところに身を置いて今後の自分の行動を決めようと思っているのである。 了。 |