2003.4.18号 06:00配信


サロマ町のカメラスケッチ

栃木地区(4)

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日光山多聞寺(天台宗)と宝物

多聞寺は、日光輪王寺の末寺で、弘法大師が日光山に巡錫のおり自ら彫刻した羅沙門天を祀ったのにはじまる。家康公は、当時に尊信帰依し、永代寺領二百石を与えたといわれる。その後、二度の災難にあい廃寺同然になっていた。それを再建し遷座の先駆的役割を果たしたのが栃木県永代村報恩寺住職林円諦であった。師は明治四十五年当地に慰問布教に訪れ、日夜開拓に労苦を重ねている移住者を見聞し、その人達の為に寺院を建立しようと密かに決意し、七十七才の老体に鞭打って遷座と再建のため日光本山に赴き説いてまわったが、志半ばで他界した。やがて、日光一山会議の結果、日光多聞寺の再建と移転が決定された。時に大正二年四月のことであった。
宝物としては、伝教大師自刻の釈迦如来像、天海大僧正自刻で家康公の御骨を納めた徳川家康像等がある。
(案内看板より)
正面より
昭和15年奉納。
記念碑

記念碑の裏には次のように刻まれています。

沿革

明治四十四年四月二十一日栃木縣ヨリ團体トシテ入地シ相次デ各縣ヨリ入地開墾ニ従事シ今日ノ隆盛ヲ見ルニ至ル依テ此處ニ協力シ記念碑ヲ建立ス
昭和十五年四月二十一日

廃屋
最初来た道を戻り、国道333号へ。突き当たりを左に行くと佐呂間町。右は、ルクシ峠から北見方面。

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