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雷電社跡を記す看板
雷電神社
雷電神社は、旧谷中村のほぼ中央の丘の上に鎮座し谷中村民の深く崇敬した社である。足尾銅山鉱毒事件の折、県当局の谷中村強制買収反対運動に命を賭して戦った田中正造翁もこの神社をこよなく敬愛し、この社殿で村民青壮年と共に寝食を忘れて談じ或る時は難戦苦斗する村民を慰め激励した処でもあった。田中翁は病気重態の折、我が身を担架に乗せて遠く谷中に送り届けよと頻りに要望したほど翁が最期の静養を志したのもこの社地であった。この神社跡地こそ、日本公害の原点地、谷中村の存在を永久に証する無くてはならぬ貴重なる遺跡であると云い得る。(旧谷中村遺跡を守る会)
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共同墓地跡
延命院共同墓地
延命院は室町時代に旧谷中村古川に創建され村民の共同墓地を有する古い寺院である。墓地内の卵塔、墓石は江戸時代初期より連綿と存立している。旧谷中村は古来五穀豊穣の地として栄えたが、明治時代足尾鉱毒事件のためこの延命院は県当局に強制買収され廃寺となり現在は墓地墓石を残すのみとなった。田中正造翁が谷中村に入って6年、明治43年4月1日その日記の一節に谷中村事件を次のように規定している。
「谷中と鉱山の戦なり官憲これに加わりて銅山を助く人民死を以て守る。何を守る憲法を守り自治を守り祖先を守りここに死を以て守る」と、この地は公害斗争の原点であり谷中村事件唯一の生き証人として残るものである。(旧谷中村遺跡を守る会)
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